{"product_id":"9784762936746","title":"日本漢文学の江戸後期","description":"【序論より】（抜粋）\u003cbr\u003e「日本漢文学」は、私達日本人が、どのように中国の文化を採り入れ、それをどのように独自の文\u003cbr\u003e化に発展させてきたか、という命題を含んでいる。本研究は、そうした命題を念頭に置き、各時代の\u003cbr\u003e中から江戸時代後期を取り上げ、日本人の手により、中国文学の形式を取って作られた日本漢詩文作\u003cbr\u003e品の内容と、そこに込められた作者の意識とを検討し、その作品の意義を考察するものである。\u003cbr\u003e　　本書で取り上げる四名は、活躍した時期も場所も立場も異なっている。齋藤拙堂は、地方藩の江戸\u003cbr\u003e屋敷で、あまり地位の高くない武士の家に生まれ、努力して藩儒の地位を得た。?山陽は広島藩儒の\u003cbr\u003e跡継ぎとして約束された身分を捨て、京という都会の市井で自由に後半生を生きることを選んだ。山\u003cbr\u003e陽の父親である?春水は、竹原の紺屋兼医者の家に生まれたが、父の期待を背負って大坂へ遊学し、\u003cbr\u003e広島藩儒となった。その末弟である?杏坪は、長兄春水に次いで広島藩儒となったが、学問所以上に\u003cbr\u003e藩の実政に力を注ぎ、その働きが認められて、七十五歳で致仕を許されるまで藩の業務に尽くした。\u003cbr\u003e彼らがその地位に就くまでの経緯や、漢詩文の創作に励む時期や姿勢は、各各異なっている。\u003cbr\u003e　　四名は、文人趣味に生きたように見える部分がありながら、文人視されることを好まなかった点は\u003cbr\u003e共通しているが、それぞれ文人趣味にいそしむ度合いが異なる、と私は考える。その彼らが、漢詩文\u003cbr\u003eという手段を用いてどのように思索し、どのように自己を表現していたのか、各人について論を重ね、\u003cbr\u003e更にそのがりを考えてゆくこととする。\u003cbr\u003e","brand":"汲古書院","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":48485372363056,"sku":"","price":9900.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"url":"https:\/\/www.maruzenjunkudo.co.jp\/products\/9784762936746","provider":"丸善ジュンク堂書店ネットストア","version":"1.0","type":"link"}