{"product_id":"9784884714741","title":"蒙古の子守唄 余話 司馬遼太郎への畏敬と反論 北のまほろば　我が故郷への想い","description":"津軽には３つの宝物ある。それは、岩木山、津軽平野、十三湖である。\u003cbr\u003e十三湖の東側には、吉田松陰遊賞の石碑が建立されている。著者は幼いころ、その場所が好きだった。松陰が見たであろう秀峰岩木山を眺めながら、寝転がって流れる雲を見上げ、「絶対に偉くなって母親を楽にさせる」と誓った。それが青雲の志となり、19歳で北海道に渡った。\u003cbr\u003e札幌市民となって約半世紀、九州対馬を訪問したことをきっかけに、それまで記憶の奥底に眠っていた謎が目覚める。幼い頃に聞いた母の子守唄に登場する「蒙古」、そして自分の先祖と聞いた海賊「安藤水軍」。その２つの謎を解く旅を『蒙古(もんこ)の子守唄』として令和４（2022）年に上梓したのだが、執筆中、新たに３つ目の謎が生まれた。それは津軽が生んだ文豪、太宰治である。彼の祖先は、蒙古襲来から逃げ延びた対馬の人ではないか？\u003cbr\u003eこの３つの謎を解くべく、旅（執筆）を始めた筆者。特に注目したのが太宰治の小説『津軽』と、司馬遼太郎の『街道をゆく・北のまほろば』であった。太宰は生まれ育った津軽をどのように描いたのか。そして司馬が青森を〝北のまほろば〟とまで褒め称えた理由が何だったのか。それが知りたかったのである。しかし、両書を読み進めていくうち、いくつかの疑問を抱く。\u003cbr\u003e司馬は、津軽の人々が飢饉に苦しめられたのは、弘前藩の相次ぐ新田開発によって無理に無理を重ねた「コメ一辺倒政策の悲劇」と断罪している。これに著者は違和感を持ち、司馬への反論を決意する。\u003cbr\u003eさらに、太宰は『津軽』を風土記というが、それは風土記に名を借りた「遺書」であるとの考えに至った。同時に、太宰が見ていない、書いていない、自分自身もまだ知らない「津軽」を探求してみたいという、新たな旅（執筆）への思いに駆られる。\u003cbr\u003e津軽は本当に悲劇の舞台であったのか。そして「我が故郷とは」と、改めて自らに問いかける〝津軽再発見の旅〟が、ここに始まる。","brand":"高木書房","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":48991719391536,"sku":"","price":1800.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"url":"https:\/\/www.maruzenjunkudo.co.jp\/products\/9784884714741","provider":"丸善ジュンク堂書店ネットストア","version":"1.0","type":"link"}