{"product_id":"9784911094105","title":"渓流のまなざしー視線恐怖共に生きた精神科医の44年ー","description":"自伝的コミックエッセイ。少年期に目撃した両親の性の営みから、高校3年生の時に視線恐怖症を発症した。東大入学後、初恋の人に恋文を書き、箕面で初めてデートした。視線恐怖から、横にいる彼女の見る事すら怖くて、彼女の言葉、「私たち、別れましょうか。」に、目の前が真っ暗になった。旧建設省に入省が決まり、年末にあった友人から、彼女に電話してみろと言われて、正月に彼女の家に行って歓迎された。しかし、私は泥酔してしまい、彼女を失望させてしまった。官僚として、働き始めたが、周囲を課長、専門官、課長補佐に囲まれ、恐怖の連続であった。5時には、退席して同僚を誘って飲みに行った。「吉田は、飲むと正常になるな。」などと嫌味ばかり言われた。一時期、別の課では、一番奥の隅の席になって、視線を浴びることがなく、しかも官僚時代唯一の友人ができたこともあって、充実感があった。そんな折に、初恋の人と中之島公園でデートした。自信に満ちた私を見て、夕暮れ時に、彼女をバス停まで送っていったとき、「私、今日、帰らないつもりだったのよ。」言われて、驚いてしまった。その後、官僚は続いたが、視線恐怖のため、徐々に孤立が深まった。下宿に帰って、初恋の人に電話したが、「吉田君、またなのね。」と言われて、思わず、「もう、二度と電話するものか。」と言ってしまった。私は、都会の中で一人ぼっちになった。次の日に、辞職届けを提出した。大阪の実家に戻り、高校時代の教科書を引っ張り出した。夏から予備校に通い始めて、冬の終わりころに医学部に手が届くくらいになった。杉本キャンパスから天王寺キャンパスに移った。このころが、視線恐怖症のピークだった。講義の休み時間はトイレに身を隠した。登校できずに、雨の京都の三千院をさまよった。卒業式にも出席できなかった。精神科医局に１年間、身を置いた。後は、いろいろな精神病院や老人施設を回った。いずれでも、視線恐怖症ののため、ナースステーションはできるだけ避けた。看護師には、挙動不審医者と見られた。長く続いたのは、医療刑務所の精神科医だった。７年間だけだったが。医局には、いつも私一人だった。視線の圧迫感がなかった。しかし、所長、看護師、刑務官、事務員によるいじめがひどくなり、ある日、ナースステーションで涙が止まらなくなった。辞めることばかり考えていた。唯一の救いは、週１回土曜日の梅田のクリニックでの外来診療だった。その時だけ、人間として存在できた。紆余曲折を経て、最後の勤務医を浅香山病院で迎えた。やはり、同僚医師の嫌がらせ、病院全体のパワハラに遭い、開業の道しか残っていなかった。平成15年9月1日、なら新大宮クリニックを開業した。やっと、自分の居場所を見つけた。1日目は、患者さんが一人だった。でも、私は満足だった。診察を終えて、外に出ると、夕日に染まった建物が広がっていた。開業してから25年経ちます。風邪をひいて熱があっても、こけて肋骨を5本折っても、診察は休んでいません。外来診察は、私の最後の居場所です。","brand":"ハート書房","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":67407779365168,"sku":null,"price":1100.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"url":"https:\/\/www.maruzenjunkudo.co.jp\/products\/9784911094105","provider":"丸善ジュンク堂書店ネットストア","version":"1.0","type":"link"}