
芥川賞・直木賞90年 日本文学の時間をめくる旅
2025年7月16日(水)に受賞作が発表される芥川龍之介賞・直木三十五賞。90年続く2つの文学賞は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。賞の誕生から現在までの歴史を振り返りつつ、選考の裏側や歴代の受賞作についてなどここでしか聞くことができないような話を、日本文学振興会の舩山幹雄さん・續大介さん、文藝春秋出版局の川田未穂さん、営業推進部の木村哲也さんからお伺いしました。
- プロフィール
- Q.芥川賞・直木賞誕生の背景とは?
- Q.芥川賞・直木賞の選考方法
- Q.受賞作が必ずしも1作ではない理由
- Q.歴代受賞作で印象に残っている作品は?
- Q.受賞後の作家・作品はどうなる?
- Q.作家と書店との関わりで印象に残っていることは?
- よりたくさんの人に本を読んでもらうために
- 芥川賞・直木賞をもっと楽しむために
プロフィール
舩山 幹雄(ふなやま みきお)
公益財団法人 日本文学振興会 事務局長。芥川賞・直木賞の運営全般に携わる。元「文學界」編集長。
續 大介(つづき だいすけ)
公益財団法人 日本文学振興会 副事務局長。かつて『芥川賞・直木賞150回全記録』の編集を担当。
川田 未穂(かわた みほ)
株式会社文藝春秋 出版局第二文藝部部長。かつて「オール讀物」編集長として直木賞の司会も担当。
木村 哲也(きむら てつや)
株式会社文藝春秋 営業推進部長。
石原 聖(いしはら さとし)
丸善ジュンク堂書店デジタル事業部 チーフエディター。記事コンテンツ制作を行う。
神代 莉奈(くましろ りな)
丸善ジュンク堂書店デジタル事業部 記事コンテンツ制作を行う。
Q.芥川賞・直木賞誕生の背景とは?
文藝春秋を立ち上げた菊池寛の友人であり、『文藝春秋』の主要な寄稿家・作家であった芥川龍之介が1927年(昭和2年)に、直木三十五が1934年(昭和9年)に亡くなったことがきっかけとなります。
芥川と直木は菊池寛にとって大切な親友でしたので、非常に気持ちを落としてしまいました。落胆の中から菊池は、2人の名前を記念したいということと、たまたま2人が異なる作風の作品を書いていたことから、2つのジャンルの新人作家を顕彰する文学賞の創設を思い立ちます。
芥川龍之介は純文学、直木三十五は時代小説・大衆小説を、得意としていました。純文学の新人作家に芥川賞、大衆文芸・エンタテインメントの新人・中堅作家に直木賞、2つの賞を作って、2人の名前を記念するとともに、新たな文芸の書き手を見つけて育てていこう、そうした目的で始まりました。菊池と芥川と直木、3人の友情から生まれた賞なんですね。
第1回の選考会が開かれたのが1935年(昭和10年)の8月10日なので、今度の7月でほぼ90年目ということになります。

菊池寛
提供:文藝春秋
当時は新聞社が「懸賞小説」をよく募集していました。一般に公募して、一等の作品には賞金を出して新聞に載せるというものです。
芥川賞・直木賞も、最初は募集する形式を考えていたそうなんですが、それでは懸賞小説と一緒で面白くない、既に出ている雑誌に載っている小説から選んでもいいのではないか、という意見があって、現在のような形式になったと記録が残っていますね。

芥川龍之介
提供:文藝春秋

直木三十五
提供:文藝春秋

芥川賞・直木賞宣言
提供:文藝春秋
Q.芥川賞・直木賞の選考方法
本番の選考委員会では、ご存知のように、現在活躍されている作家の方々が選考委員となって、真摯な議論を経て公平に選んでいます。また候補作についても、予備選考委員会というものがあります。予備選考委員は、両賞を主催している日本文学振興会が文藝春秋の文芸部門の編集者に委嘱するという形をとっておりまして、芥川賞は10数名、直木賞は20数名の委員がおります。この予備選考委員会を何回か開き、徐々に作品を絞っていって、最終的には委員の投票によって候補作を決定します。今回、芥川賞は4作、直木賞は6作という候補作を挙げました。
日本文学振興会というのは、1938年(昭和13年)に設立されたもので、その背景には、文藝春秋の経営状態に関わらず、芥川賞直木賞が続けられるようにという、菊池寛の意思がありました。日本文学振興会は、2008年(平成20年)に、国から公益財団法人としての認可を受けました。つまり、芥川賞・直木賞をはじめとする文学賞の授与が、文藝春秋一社の利益のためではなく、出版界全体のためにやっているということが認められているわけです。
日本文学振興会について
文学賞の授賞を通して、文芸の向上顕彰を図り、日本文化の発展に寄与するということで、「公益事業」と見なされています。身近な例では、高校野球を統括している日本高等学校野球連盟も公益財団法人なので、甲子園の高校野球もおそらく公益事業として行っているのでしょう。
文藝春秋の利益のためではない、という点で言いますと、文藝春秋の作品が候補作の過半数を超えるということはありません。逆に、芥川賞では過去に候補作5作中4作が別の一社の作品だったことがあります。
Q.受賞作が必ずしも1作ではない理由
芥川賞も直木賞も受賞作が1作の場合、2作の場合、「なし」の場合がありますが、これは純粋に当日の投票と議論の結果によります。選考会が始まると、まず選考委員が全候補作への評価を投票して、その点数によって議論を進めていくのですが、最終段階で点数が高い候補作が拮抗していたりすると、2作受賞になることもありえます。人間が選考するものですから、選考委員同士で議論するうちに、最初は1作と思っていた選考委員が2作でもいいんじゃないかという気持ちになることもあるようです。 逆に話し合った末に受賞作なしになる場合もありえるわけです。それも含めて、毎回候補作に向き合って、真摯かつ厳正に議論して下さる選考委員の先生方には頭が下がります。
受賞作がなしになった時の候補者の方のお名前と作品を見ると、本当に人気作家ばかりで……おそらく選考委員の先生方もそれぞれに好きな作品があったからこそ、逆に票がばらけてしまい、結局、一人にまとまらなかったような気もします。
芥川賞・直木賞は選考会の模様を生中継するようなことはしていませんが、出席選考委員全員が執筆する「選評」という形で選考委員の評価を公表することを第一回から続けています。芥川賞の選評は受賞作全文とともに「月刊文藝春秋」に、直木賞は「オール讀物」に掲載されますが、それを読むと誰がどの作品をどう評価しているのかが伝わって来ますし、第一線の作家が現在の小説の状況に対して思うことも感じ取れたりして、ものすごく興味深いですよ。
プロの作家さんの中にも、選評を非常に楽しみにされている方もいます。
自分が読んだ作品を選考委員の先生方はこう評価したんだと改めて知るのは非常に勉強になるし、どういう点がポイントなのかというのもまた面白いですね。
選考されてる方が皆さん書き手でいらっしゃるので、それぞれに独自の作家としての視点を持っていらっしゃる気がします。
海外の文学賞では、書評家や批評家、あるいは編集者が選考に関与してることも多いのですが、芥川賞・直木賞は作家だけで選びます。元々は、菊池寛が芥川龍之介と直木三十五の、それぞれ親しかった人を選考委員にしたというのが始まりなのですが、それが他の文学賞にも広まって、日本においては作家が選ぶというのがスタンダードになったんですね。
あくまで作家同士の議論で受賞作が決まるわけなので、最初に投票はしますけれど、そこで点数の一番高い作品が自動的に受賞作になるとか、過半数を超えた作品が2作あるから2作受賞にしようとか、そういう単純なものではないです。
第83回(1980年上半期)、向田邦子さんが受賞された時のことですが、志茂田景樹さんの1作だけで決まりそうになった時に、選考委員の水上勉さんが「おい、文学はコンピューターか」と発言された。点数で自動的に決まるものではないという意味で仰ったのだと思いますが、その結果、さらに話し合いを重ねて、最終的に向田さんと2作受賞になったということがあります。
「個人的には好きだけど、皆さんに共感されるのかが分からなかった」と迷われていた作品が、議論が進むにつれて「これは面白いよね」と評価が上がる場合もあれば、気づかれにくい瑕疵が指摘されて、評価が逆に下がってきてしまうこともあるので、やはり議論していく中でのお互いの共感を深めていく作業でもあるような気がします。意見のキャッチボールをしながら、お互い作品をリスペクトし合って、最終的に受賞作が選ばれるのではないでしょうか。
Q.歴代受賞作で印象に残っている作品は?
もっとも有名な作品としては、芥川賞での石原慎太郎さんの『太陽の季節』が真っ先に挙げられるでしょうか。 一種の事件性というか。文學界新人賞を受賞されて、それがそのまま芥川賞候補になり、あれだけかっこいい人が出てきたという、当時の衝撃は計り知れないものがあったはずです。いまの若い方は慎太郎さんといえば、国会議員や都知事などの政治家、あるいは石原良純さんのお父さんだって思ってるかもしれませんが(笑)、当時の最先端をいくスタイリッシュな文化人でした。
『太陽の季節』に対しては評価が二分して、当時の選評によると舟橋聖一や井上靖がその新鮮さや快楽と向き合う姿勢を積極的に評価する一方、佐藤春夫や宇野浩二は若者の流行に迎合した風俗小説に過ぎないと、全否定に近い評価なんですね。
逆に佐藤春夫のような大家がそこまで否定するということも話題になり、若者の無軌道な青春を描いた小説が社会に受け入れられ、「もはや戦後ではない」という言葉が流行っていた昭和30年前後の世相とも相まって、当時の石原慎太郎さんは時代のアイコンのような存在になったのではないでしょうか。
その後、社会的インパクトが大きかったのは、10代だった綿矢りささんと金原ひとみさんのダブル受賞ですね。
受賞者記者会見場の様子が普段と違って、人がすごく多くて、受賞者が登場したときのカメラマンの方たちの熱気が全然違うぞと思いました。
贈呈式の時も綿矢さんと金原さんを一目見たいっていうお客さんが、すごく多かったですね。しかもその時の直木賞の受賞者が京極夏彦さんと江國香織さんで、本当に豪華な受賞者でした。
その後の綿矢さんと金原さんのご活躍を見れば、たとえ10代だったとしても本当にどれだけの実力のある作家であったというのもわかると思うんですね。 ずっと書き続けてきているだけではなく、常に新しい挑戦をされている姿を拝見するに、あの時に芥川賞を取るべくして取ったと十分に納得できます。
その時の綿矢さんや金原さんの活躍に刺激を受けて、作家を志し、現在活躍されている若い作家の皆さんも多いのではないでしょうか。
綿矢さんは学校の図書館で太宰治の作品を片っ端から読んでいた時期があるそうですが、その太宰は第一回芥川賞の候補になるも受賞に至らず、そればかりか川端康成の選評に憤慨して反論文を発表したり、佐藤春夫に受賞を嘆願する手紙を送ったりしているんですね。その太宰の愛読者が時を経て芥川賞を受賞する側になるという、これはあくまで一例ですが、90年の営みの間に人と人のつながりであれ、作品を通じたつながりであれ、日本の文学がつながっていく流れの一つを作り続けていることに、先人たちへの感謝と畏敬の念を覚えることも多いですね。
私が印象に残っているのは又吉直樹さんが受賞された時ですね。会見場に取材陣が入り切らないほどでした。又吉さんの『火花』は、受賞作の単行本としては累計発行数が史上最多、253万部に達しています。書店の現場にいらっしゃるとお分かりだと思うのですが、平均して売れる、野球にたとえれば打率がいいのは直木賞受賞作じゃないでしょうか。けれども、特大ホームランは芥川賞から出ると言えますね。
海外にも影響を与えたものでは海外版権の引き合いが多かったのは『コンビニ人間』で、今は44カ国で出版されていますね。英語版だと“CONVENIENCE STORE WOMAN”という題名だそうですが。
歴史小説の優れた直木賞受賞作も多いですが、それはなかなか翻訳されにくいからどうしても難しいですね。最近、海外版権の引き合いが多かった作品は馳星周さんの『少年と犬』で、犬は世界共通で愛されているのでしょう。『少年と犬』はコミックにもなっていて、そちらでも海外翻訳されています。
Q.受賞後の作家・作品はどうなる?
直木賞の方がその効果は顕著で、まず、既刊に増刷がかかりますよね。
芥川賞の方はそんなに作品数が多くなかったりデビュー作だったり、まだ書籍になってないっていうこともあるし、受賞が決まってから刊行されることもあります。
直木賞の方はとにかく、「次の受賞者が出るまで半年は本当に忙しいですよ。覚悟してください」と、皆さんにお伝えをしますね。東京や大阪はマストで、ご出身の地方でサイン会があったりとか、いろんな講演依頼があったりとか、さらに大変なのは新聞や配信社からのエッセイの依頼でしょうか。
各紙からエッセイの依頼が来るので、作家さんによっては「もうネタ切れです」って素直に書いてる人とかいますからね。
エッセイなんて書いたことないっていう人もいるでしょうからね。
前回は伊与原新さんが『藍を継ぐ海』で受賞されたんですけれども、『藍を継ぐ海』には五つの短編が入ってて、北海道だったり、徳島だったり、いろんな地域が出てくるので、それぞれの舞台や学校からのご依頼も、非常に多かったです。有難いことですが、そこで執筆のお時間が十分にとれないことになっては困るので……皆さん、ご苦労されていると思います。
出身高校に垂れ幕がかかったりとかするらしいですよ。最近では、受賞者の出身大学から「大学の広報誌に載せたいので、贈呈式の取材に来てもいいですか」という申し込みがあったりもします。
あとは素敵な先輩の作家が、可愛がっていた後輩作家の受賞者に素敵なプレゼントしてくれたというお話もよく聞きますね。
本日、山口県萩市民館にて、#伊与原新 さんの講演会が開かれました🎊
— 新潮社出版部文芸 (@Shincho_Bungei) May 10, 2025
萩、見島は『#藍を継ぐ海』収録の「夢化けの島」の舞台です✨
講演には500名を超える方々がお集まりくださいました。
会場では、#萩ジオパーク… pic.twitter.com/UjrpVQepiZ
Q.作家と書店との関わりで印象に残っていることは?
2023年、御社にご勤務の現役書店員、佐藤厚志さんが『荒地の家族』で第168回芥川賞を受賞されたときは、丸善ジュンク堂書店チェーンあげてキャンペーンをされていましたね。イベントでサイン会をやるとか、店舗単位で受賞作を盛り上げることはありますが、チェーン規模で応援をされていることに驚きました。
すごい印象的なのは佐藤さん、当時ご勤務されていた丸善仙台アエル店の雑誌の担当をされていて、『荒地の家族』が掲載される月刊「文藝春秋」を自ら発注されていました。電話で「雑誌担当の方いますか」と伺ったところ、佐藤さんご本人が電話に出られてびっくりしました。しかも、600冊というとてつもない大量のご注文をいただき、二度驚きました(笑)

※こちらのキャンペーンは終了しております
名古屋在住の大島真寿美さんが『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』での受賞の際は、地元の名古屋の書店さんがすごく応援をされてて、今は閉店された七五書店が音頭を取ってくださって、朝から書店回りを十数店終えた後、夜に各書店員の皆さまがチェーンなどの枠を超えて集まり、お祝いの会を開いてくれたのが、すごく心温まる会でした。
本が出ること自体が初めてっていう人が結構多いですからね。全てが新鮮みたいな感じで喜んでサイン会に臨んだりした記憶がありますね。
よりたくさんの人に本を読んでもらうために
歴代の芥川賞受賞作のラインナップを見てくると、その時その時のこの社会に生きている人が、心の奥底で感じたり考えたりしている、容易には言葉にならないものに、作家の力で言葉を与えて、小説という形にして、400字詰めで100枚から200枚程度の長さで作品化されたものが多いように思います。小説の形式、表現の形式は様々ですが、切実に表現したいことがある、伝えたいことがあるのは共通しています。近年では、例えば『ハンチバック』で市川沙央さんが読書のバリアフリーについて、強く訴えました。みんな紙の本ばかりありがたがるけど、紙の本のページをめくれない人もいる。電子書籍の方がずっとありがたい人もいる、と。それはこの作品を読まなければ知ることのなかったことで衝撃的でした。
そうした受賞作が月刊「文藝春秋」に全文掲載されることによって、普段は小説を読まない人も手にとって、なにか感じていただくことによって、大げさに言えば、一つの日本文化の下支えをし続けているということは言えると思うんですね。
選考委員の先生方は自分の作品のための時間を削って、常に真剣に選考に当たってくださっている、そういうことが半年に1回、行われてきて90年続いているということは、皆さんにぜひ知っていただきたいですし、今後も人が何かを表現したいという気持ちを持ち続ける限りは、新しい作家と作品は生まれてくると思いますし、主催者としてはずっとサポートして参りますし、作家ってカッコいいなという気持ちを若い人に持ってもらえるように運営していきたいですね。
日本では作家を発掘して育成する役割は主に民間の各出版社が担い 、書店さんが読者と作品の出会いの場を提供してくださり、読者が作品を購読してくれることによって私たちの営みは成り立っています。芥川賞・直木賞の受賞作・候補作と書店で出会い、作品を読んで、人生を揺さぶられる経験をし、新しい作家を志す人が出てくれば、主催者としては、一番ありがたいことだと思っております。
直木賞の未来を考えるということは、小説をどう考えるかっていうことそのもののような気がします。娯楽が多様化してて、映像も何もかも、タダで貰えるものもいっぱいある。 これだけの情報化社会の中で、お金を払って読んでもらえる価値がある小説というのを、どうやったら作り続けていけるのか、といいますかーー直木賞・芥川賞を目指して小説を作ってるわけじゃないんですけども、多くの皆様に読んでいただける小説を作っていきたいですね。
50年以上も書店に務めている大先輩が、「小説を読んでいれば、本当にいじめだって減るはずだし、くだらない殺人事件なんかも起こらないはず。小説の中で人を思いやる気持ちとか、逆に人が傷つけられてることを知ったりとかしたら、悲しい事件は減ってくんじゃないか」といったお話をされていたことがあります。あえて小説を読む意味は作らなくてもいいのかもしれませんし、楽しいから読む、でいいんですが、小説が読まれる未来に繋がればいいなと思います。
普段は小説というものを全く読まない方が、芥川賞受賞作だけは「文藝春秋」に載っているのを読むとか、もともと子供の頃は小説が好きだったけど大人になって離れてしまっていたという人が、「ああ、直木賞が決まったんだ。じゃあ、読んでみよう」とかいうことがあるわけで、一般の方を活字に呼び寄せる存在であり続けてほしいなとは思いますね。
書店員コメント
本記事にも登場する佐藤厚志さんが『荒地の家族』で第168回芥川賞を受賞された当時、私は佐藤さんが勤務されていた丸善 仙台アエル店の店長を務めていました。受賞発表時、佐藤さんは東京で発表を待っていたわけですが、地元・仙台での“佐藤さんご本人以外の地元関係者による受賞待ち会”の様子がテレビや新聞で大きく報じられ、私も6台ものテレビカメラに囲まれました。私が仙台駅前の飲食店でひとり食事をしていた際にも、「おめでとうございます」と、本人ではない私にまで声をかけてくださる方がいて、多くの方が関心を寄せ、祝福してくださっているのだと実感しました。受賞作となった単行本も、仙台の丸善だけで7000冊を超える売れ行きでした。
また、芥川賞・直木賞を創設した菊池寛の魅力も見逃せません。一作家として文壇に立ちながら、出版事業を興して大きな成功を収めたその姿には敬意を抱きます。代表作『恩讐の彼方に』や『忠直卿行状記』は味わい深く、私にとって「好きな小説は?」と尋ねられた際に真っ先に思い浮かぶ作品です。今回あらためて、大正・昭和初期という時代背景の中で生まれた芥川賞・直木賞に思いをはせる楽しさを感じました。
丸善ジュンク堂書店 デジタル事業部
本記事インタビュアー 石原聖
「本を読むきっかけになってほしい」という思いは、本に関わる全ての人たちの共通認識であるということを改めて実感しました。
私自身も、読書への興味の一歩になった作品があります。東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』です。この作品も直木賞受賞作なのですが、高校の現代文の授業で課題図書として出されました。当時の現代文の先生が課題図書として他にも提示した作品は、あまり堅苦しくなく、エンターテイメント性のある(いわゆる、映像化されているような)選書でした。当時の先生がそのような選書をした理由は、おそらく生徒に向けて読書のきっかけを与えたかったのだろうと思います。
書店は多角的なアプローチで人と本を繋ぐ場所です。その中でも特に芥川賞・直木賞の受賞作が発表されると、書店は老若男女問わず楽しまれる場所になります。その繋がりは絶対に絶やしたくないです。
丸善ジュンク堂書店 デジタル事業部
本記事インタビュアー 神代莉奈
芥川賞・直木賞をもっと楽しむために
賞の創設者・菊池寛の思いから、受賞を夢見る作家の情熱まで。賞をとりまく人間ドラマに触れてみませんか。
門井慶喜さんによる、菊池寛の評伝小説の文庫版が2025年7月に発売されました。
菊池寛の親しい友人の芥川龍之介が死ぬ直前に文藝春秋に訪れるんですけれども、その時に会えなかったことを悔やんだり、直木三十五が「かきたくない、もうかけない」って言ってるのに、菊池寛から依頼すると、どうしても断れずに無理をして書いて、直木が体を壊して……
当時の新聞などを読んだ上でかなり詳細に書いていらっしゃるので、読んでいただくと芥川賞・直木賞の誕生の背景を楽しく小説で読むことができると思います。
芥川龍之介晩年の代表作『河童』と、51の断章で構成された私小説『或阿呆の一生』。『河童』について、『文豪、社長になる』の中で、”河童”の読み方を”kappa”と読むか否かで尾佐竹猛・柳田國男と言い合いになった、というエピソードがありました。なお、冒頭には実際に「どうか Kappa と発音して下さい。」と書かれています。
薩摩藩・島津斉彬のお由羅騒動を題材にした、直木三十五の代表作。『南国太平記』を経てベストセラー作家となった直木に、菊池寛は目をつけます。大忙しの直木にひたすら原稿依頼。直木が『文藝春秋』に掲載した文壇ゴシップは、当時の読者から大好評でした。
直木賞をどうしても取りたい作家が主人公です。直木賞の発表媒体である『オール讀物』に連載されたので、どうやって直木賞の候補作が決まるのかも含めて、かなり詳細に、リアルに書かれた小説です。この小説を読むと、どうやって候補作が選ばれているのか・直木賞受賞作がどうやって選ばれるのか・どうして賞が欲しいのかがよく分かる内容になっているので、ぜひ読んでみてください。
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