はじめに――テーマは「渡来王朝説の現在地」
序章 「古墳時代の大量渡来」という新事実
――古代史のモデルが変わる!
石渡史学=〝応神天皇史観〟
ジャーナリズムと学界の「反応と変化」――石渡史学の波及と副産物
「ヤマト中心主義」か、隣接科学の出してきた「答え」か
「混血説」の再評価へ
「東アジア世界」の仲間として――歴史へのアプローチは「イデオロギー」抜きで
第1章 渡来のリアリズム
――DNA解析が明かす「大量渡来民」史観に見合った政治状況を考える
天皇そして日本人は「朝鮮半島にルーツがある」のか?――保守派知識人のある発言
ヤマト王権の誕生〝9パターン〟 ――「ポスト邪馬台国」像の描出が歴史家の真骨頂
大量渡来民「なし」では列島日本人の人口が足りない!?
「東アジア」系の成分を持つ人びと――「古墳人=現代人」の衝撃!
渡来説の復権――「弥生‐古墳移行期」というニュー概念
弁辰狗邪国と倭――3世紀の半島南部、消失したクニとは?
三韓時代――王としての「臣智」と「辰王」統治システム
246年争乱――二郡vs.韓軍から半島勢力の再編へ
「受け皿」弁辰狗邪国――盟主国「狗邪韓国」として新生へ
金海周辺を治めた王たちの系譜――大成洞古墳群集団の支配層
首露王の起源をたどる――「金氏の起源」としてのある「邑君」
弁辰狗邪国から狗邪韓国、そして意富加羅国へ――4世紀前葉に起こった完全独立への道
第2章 「任那」の誕生と列島への進出・移遷
――「渡来王」崇神によるヤマト王権の成立へ
[年表]国名(国号)の変遷と極東アジア史
意富加羅国の「列島進出」決断――首露の祖父・父世代の「連合王国」構想から
政治集団移動の神話・伝承――首露王のモデル人物、337年の渡来
「任那加羅王」の誕生――加羅からついに「ミマナ」加羅へ
「旨」=ミマキとしての来倭と治世――ヤマト王権の樹立は350年代か
覇王の横顔――「首露王=崇神天皇=倭王旨」説の秘密
逆転劇――百済の急成長と「侯国」の倭
「ナラ」の系譜――任那加羅から金官という「(ス)ナラの国」へ
「短甲」と思いがけぬ「ムル」の意味――加耶ならではの武具が倭で花開く
太陽神「アマテル」は外来神――〝タカミムスヒ革命〟で変わったこと
北東アジア系の王権イデオロギーが来た道――半島→対馬→列島・ヤマト
「海を光らせて来る神」の正体――「神代」の謎が崇神紀で解ける①
天皇霊としての「日神=大物主神」――「神代」の謎が崇神紀で解ける②
馬具と土器の真実①――箸墓3世紀説は無理筋の極み
馬具と土器の真実②――加耶土器による列島土器へのインパクト
ポスト崇神(ポスト首露)の時代へ――倭国のその後と(南)加羅の消長
半島新技術と三輪「後期」王朝による開拓――ヤマトから「河内」へ
「政治集団の移動」説がこうして復権した――「4世紀の渡来王朝説」しか勝てぬ理由
第3章 応神の「新」王権と後継天皇たちの興亡
――昆支と男弟王、そして二つのクーデター
崇神大王家への婿入りは定番理論に――「済=ホムダマワカ」の補助線で見える「武=応神」
「将軍」号を持つ男――左賢王・コンキの来倭
「ホムタ」――君の名は…「神となれり」
青春の日々がない天皇――神功皇后が応神の皇太子時代を……
(済=)ホムダマワカの「分身」たち――崇神宗家の血脈で見えてくる応神の「後継者」
応神紀「干支三運引き上げ」で生じた空白――後継大王の十人(仁徳~武烈)は不在
隅田八幡鏡と「応神と継体」――突如、日本史に登場する〝昆支〟のプレゼンス
『書紀』改作プロセスに見える「応神=神武」――〝幻の皇統譜〟があった痕跡
後継者・継体天皇の正体――冠軍将軍のその後の消息
誤算――6世紀前半のクーデター;辛亥の変
二つの王統――「継体・敏達系」対「欽明・用明系」
継体・欽明の半島政策が不可解な理由――〝百済優遇・任那熱・高霊冷遇〟
聖徳太子不在説①――学界が取り上げきれない「細部」情報
聖徳太子不在説②――糸口は「馬子の妻」
聖徳太子不在説③――推古・用明が「でっち上げ」だという理由
「蘇我物部戦争」による本当の敗者とは?――敏達の死後、「プリンス」の悲劇
霊(血)と抗争――『日本書紀』が捏造した記事の「意味」
あとがき――「誉田八幡」応神の系譜と「ヤマト/日本」の誕生