①享保十七年~宝暦四年の「諸末寺住持職控」②「元文六年日記」③「寛保二年日記」④「寛保四年日記」の四冊の記録を収録。①には色衣免許幷補任に関することや、末寺に関する書状と末寺所在の領主に対して該寺が両山の末寺であることを証明する本寺証文等が収録されている。②にはまず元文五年の光長寺後住問題に関する寺院間の書状が記録され、次いで大坂五か寺の本行寺で住持俊了院が借金が原因で出奔したことが収められている。この件は関係寺院の檀家を巻き込んだ騒動になったが、これは能化職の人材不足が一因とも考えられている。③には⑴河内国砂村妙法寺謗法一件⑵大坂妙法寺怪異流布一件⑶小倉生蓮寺迫放一件等が記録されている。これらの事件はそれぞれの寺院で起こったことであるが、各地域での門末寺院の関与が大きかったようである。④には尼崎藩主松平忠喬の来寺、貫首日亨の退蔵と後任の日憲の招待、薩摩藩主島津継豊の実母須磨の死等が主な出来事として記録されている。