宰相の椅子をめがけて駆け上がっていくまでの栄光の道のりと、その後、さまざまな疑惑が吹き出して裁判の被告人となり、そして「闇将軍」として復権を狙い、永田町に君臨しつづけたあげくに、竹下登や金丸信らに独立され、失意のうちに病に倒れるという人生は、多くの日本人をいまだに惹きつけてやまない。
ロッキード事件で被告人となり、金権政治の権化とマスコミから批判された田中が、その一方で「昭和の豊臣秀吉」、「今太閤」などと称され、庶民出身の宰相として愛されつづけたのには、一度接した人がすべてファンになると言われるほど、大きな魅力を備えた人間通だったからであろう。(中略)
なぜ、人々がいまも田中角栄の人生に興味を持ちつづけるのか。
わたしは、ある意味で、田中角栄が活躍した「昭和」が人々の記憶のなかで、はるか昔になり、ひとつの歴史になってきたからだと思っている。(本書「あとがき」より)
田中角栄について、石破茂は「魔人」と敬畏し、大平正芳は「霊能師」と慄き、石原慎太郎は「天才」と讃えた。
なぜ、田中角栄はこれほど大きな存在なのか──昭和という時代を突き動かした「オヤジさん」と呼ばれる最後の政治家の、成功と挫折をたどる一代記。