[帯文/赤坂憲雄]
女寅さんの旅だ。震災から十年目の福島を歩いた。旅日記とドローイング、そして写真に残された、そこはかとない軌跡。身をさらすこと。風景が、出会った人たちが教えてくれる。けっして何か物語へと誘うことはない。とりとめもなく、言葉のまわりに浮遊しているものに、埋もれている層に、影のようなものに触れる。そこかしこに、語られていない空白が沈められている。「震災後」の物語には終わりがなく、すでに「震災前」という時間が始まっている。旅するドローイングは、ゆらゆらと揺れており、定着を拒んでいる。だから、ダリの無意識も、遠野物語もいらない。
[内容]
東日本大震災から10年目の2021年3月11日、美術家は改めて福島を歩き始めた。春夏秋冬延べ33日の旅日記と、精選したドローイング23点を集成。
■「ことば」の「まわり」に漂うものを柔らかく抱き寄せるふるまいは乾さんのドローイングそのものではないか。アーティストには巫女の素質を持つ人がいる。漂う何ものかを自らの身体と感覚を通して人々の目の前に示してくれるのだ。「ことばのまわり」は歩き巫女の託宣のように私には思えてならない。――川延安直(寄稿「キセキ 福島との向き合い方」より)