魏志倭人伝正釈とユダヤ征服王朝説を武器に、考古資料も説明し、邪馬台国論争に終止符を打つ!
倭国を最初に統合したのは北部九州の奴国だった。その奴国王の血を引く卑弥呼の本名は長媛であり、倭国大乱の結果、倭王でありながら邪馬台国に囚われの身だった。
魏志倭人伝を素直に読むと邪馬台国は九州南方海上に在ったことになる。これは魏使の政治的主張であった。この観点に従い、地名比定を用いて、魏志倭人伝を矛盾無く解釈すると、邪馬台国(邪馬壹国)は間違い無く、大和国に在った。
北部九州に上陸したユダヤ人集団が神武東征により邪馬台国を征服し、ヤマト王権という征服王朝を樹立した。
考古学的観点から見ても邪馬台国は大和国で間違いない。大和国に邪馬台国の遺跡・遺物と見られるものが多くはないのは、邪馬台国の征服者が邪馬台国の痕跡を湮滅したからだ。
略目次
・はじめに
・序章 倭の登場
・第一章 倭国王権
・第二章 邪馬台国の位置
・第三章 卑弥呼と邪馬台国王
・第四章 邪馬台国の歴史
・第五章 邪馬台国の征服
・第六章 征服者による歴史改変
・終章 銅鐸の末路
・倭国関連年表
・参考文献
なお、「魏志倭人伝」の漢字を読むのに、呉音と訓読みを使用する。
弥生人が渡来して以来、倭と大陸の民間の交流は途絶えることは無かった。国どうしでも奴国と後漢の交流、邪馬台国と魏国との交流、倭の五王と南朝との交流等が有った。それに伴い、漢字とその音に関する情報を含めて、大陸の情報は絶えず倭国に流入していた。六世紀頃までのそれらの漢字の音に関する情報の集成が漢字の呉音として遺されている。その中、南朝の影響が大きかったとしても、南朝は後漢・魏・晋の中心地だった華北の漢人が五胡による混乱を避けて南に移住し江南の漢人と共に建国した国々なので、それまでの後漢・魏・晋から移入した音が呉音として通用すると考える。つまり、呉音は五胡に踏みにじられる前の中華の漢字音を保存していると考える。
また、対馬音は呉音と同一ではない。対馬音は欽明天皇の時、百済の尼僧、法明が対馬に来て維摩経を読んで漢字の音を伝えたという伝承に由来するのであり、仏教用語に関する音の伝来に限定されると考えられるからである。
これに対し、漢音は五胡の影響を受けた唐の長安の音に由来する。その漢音の情報を七世紀以来の遣唐使等が持ち帰ったものである。漢音が入って来た後、それまでの漢字音の集成にどのような名をつけるかということになり、初めは和音と呼ばれたが、漢音以前の漢字音の集成は最終段階で南朝の影響を大きく受けたことが意識されるようになった。その南朝は、中国の呉地方に存在した。そのため、今までの漢字音の集成は呉音と呼ばれることとなった。
以上から、「魏志倭人伝」の時代、三世紀にも、完成してはいないが、倭国には大陸由来の呉音の集成が存在し、「魏志倭人伝」の解読に使用できると考える。そして、「魏志倭人伝」の時代には既に漢字に馴れており、多くはないが訓読みが有ったと考える。