■崔善愛編集委員の責任編集
知ってほしい いまも取り残されている朝鮮人遺骨のこと
「日韓併合」へと向かう1905年、山口県・下関と朝鮮半島南東部・釜山を結ぶ関釜連絡船が就航した。その後40年間、多くの朝鮮人を運んだ連絡船は、日本による朝鮮民族支配の象徴でもあった。下関から日本各地の炭鉱やダム、飛行場建設へと散らばされ、過酷な労働により亡くなった人も少なくない。日本の敗戦で植民地支配は終わったものの、その傷は終わることがない。歴史の証しはいまもひっそりと存在している。それが「遺骨」だ。1942年、山口県宇部市の沖合にある長生炭鉱で水没事故が起きた。犠牲者183人のうち朝鮮人は136人。今年7月、沈められたままの遺骨を探し出すプロジェクトがやっと始まった。強制労働の末に亡くなった朝鮮人遺骨に対し、両国政府と民らはどう向き合ってきたのか。歴史は「解決済み」ではない。
●北九州市・永生園
「なぜ私たちは日本に住んでいるのか」筑豊の寺をまわった父・崔昌華牧師
崔善愛
●長崎県壱岐・天徳寺
79年前の引き揚げ船遭難犠牲者 日韓の寺が合同慰霊
佐々木亮
日本の敗戦後、朝鮮半島をめざしていた引き揚げ船が遭難。犠牲者の遺骨を預かっているのが壱岐の天徳寺だ。現在は日韓の寺が合同で慰霊祭を行なう。
●北海道・一乗寺住職 殿平善彦さんインタビュー
「死者が追悼されずに埋まっている」発掘の拠点「笹の墓標展示館」の再建を
聞き手・崔善愛
2015年、殿平さんら日韓市民でつくる「強制労働犠牲者追・遺骨奉還委員会」が北海道
各地で集めた朝鮮人遺骨115体を韓国に返還した。以来、崔編集委員と交流があるという。
●確認された朝鮮人遺骨は1000体以上
問われる強制動員の責任 調査しても返還しない日本政府
竹内康人
市民や宗教者らが遺骨の追悼や発掘に取り組む一方、日本政府は何をしているのか。政府の「実態調査」によると、全国に朝鮮人遺骨が散らばっているのがわかる。