• 発売日:2025/07/01
  • 出版社:笠間書院
  • ISBN:9784305710505

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愚図の英断

愚図の英断

通常価格 2,750 円(税込)
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商品説明
日本国憲法施行後初めて、国会で選ばれた首相であり、吉田茂に怖れられ、マッカーサーに愛された昭和のキーパーソン、片山哲を描く。

昭和100年、戦後80年の今年、昭和史の隠れたキーパーソンが注目されている。
戦後まもなくの昭和22年6月~23年2月に総理の任にあった片山哲(第46代首相)の生涯がノンフィクション仕立てで初めて描かれた。
日本国憲法施行後初めて国会で選ばれた首相・片山は、日本政治史上初の社会党・クリスチャン総理だった。占領下で日本の民主化を着々と進めたが、在任期間が短かったためにこれまでほとんど注目されてこなかった。在任中には「グズ哲」という芳しからぬあだ名も付けられた。
しかし、昭和史の中でその功績を見直すために本書は執筆された。
GHQの支配下にありながらも日本の主権を護り、民主化改革を次々と実現、平和国家として日本を再建していった片山内閣は、現代の日本に大きな影響を残した。もし、片山が舵取りを間違っていたら、日本はアメリカの51番目の州になったか、ソ連の管理下で共産化されていたかもしれない。
さらに護憲運動とともに、政界の浄化を生涯のテーマとして取り組んだ片山の政治家としての姿勢は、現代にも学ぶべき点が大きい。
本書は、片山の出身地である和歌山県の『紀伊民報』に著者が昨年から今年にかけ連載した長編小説を加筆修正し単行本化した。
史実に基づき、片山の思い、行動を「英断」としてヴィヴィッドに描き、連載中から「ぜひ出版を」という声が寄せられていた。
発刊にあたり、歴史に埋もれた偉人の足跡に光が当て直されることを願う。

目次
序章
第一章 白き砂と十字架
第二章 師と同志と
第三章 闘いと蹉跌
第四章 廃墟から立つ
第五章 難産の政権
第六章 理想と試練
第七章 内閣崩壊
第八章 愚図の遺産
終章
目次
目次

序章
1987年、社会党委員長・土井たか子がNYジャパン・ソサエティで日本初のクリスチャン首相として党の大先輩・片山哲を紹介した。戦後の「それなりに」豊かで安定した日本社会の礎を作ったのは、8か月と短い在任期間ながら粉骨砕身した片山哲内閣であり、その功績は今こそ見直されるべきである。
第一章白き砂と十字架
南紀の白砂青松の地、田辺に生まれた片山哲は、母からキリスト教の薫陶を受けて育った。
旧制三高で自由を謳歌した後、東大法科で学びつつ社会問題に目を向け、「弱者の立場に立つ」弁護士になると決めた。
第二章師と同志と
現実の社会問題に関わるうちに片山は「法律を根こそぎ変えないとダメだ」と気づく。学生時代・若き弁護士時代を通じて師と仰いだのが吉野作造と安部磯雄だった。男女平等、「家(イエ)」制度の廃止、公娼廃止、死刑廃止。現在では当たり前、あるいはメジャーな論点となっているものを先駆的に取り上げ、労働者や小作人を救済する法律家活動に励んだ。
第三章 闘いと蹉跌
普通選挙法の施行に伴い、片山は無産政党の議員として国会に議席を得るが、戦争に向かう流れを止めることはできなかった。所属の社会大衆党は国家総動員法に積極的に賛成、片山は戦中の東条翼賛選挙で落選の憂き目を見る。
第四章 廃墟から立つ
戦後2カ月半で早くも日本社会党が結成された。社会主義の幅広い人々を集めたこの政党は当初委員長を置かず、書記長に片山が就いた。党内では当初から左右の両勢力が角突き合わせていた。
マッカーサーは幣原内閣に新憲法の早期制定を強く迫り、内容についても実質的に指示した。そうして公布された新憲法は、「戦争放棄・主権在民・象徴天皇制」を謳い、社会党の試案をすら超えた進んだものだった。その後誕生した吉田茂内閣と、ゼネストの扱いを巡り片山社会党は丁々発止のやり取りを続けた。
第五章 難産の政権
新憲法施行の直前の総選挙で、社会党は大方の予想を覆して大勝利、第一党になった。内閣の首班を取るか、さもなくば最強の野党となるか。党内の意見は対立し、連立の枠組みも二転三転した。特に混乱をもたらしたのが吉田自由党の態度だった。結局自由党は離反し、民主・国民協同両党との三党連立内閣となる。マッカーサーの期待を受け、新憲法下初めて国会で選ばれた首相は、社会党委員長、そして日本初のクリスチャン首相だった。だが難産の末生まれた片山政権は、平野農相の資質、左派の突き上げなど初めから内紛の種を抱えていた。それでも極度の食糧難、生活難の中から新生日本を築き上げることに日夜奮闘、「危機突破内閣」と呼ばれた。閣僚が率先して清貧を体現して見せた政権だった。
第六章 理想と試練
片山内閣は外国占領下での民主化という異例の体制下、GHQと協調し1日1本に近いペースで新法制定・法改正を行った。内務省の解体、不敬罪の廃止、家(イエ)制度の廃止、児童福祉法制定、小作制度の廃止など戦後の民主化の根幹と言える改革は枚挙に暇がない。だが一方では社会党が目玉としていた炭鉱国家管理は骨抜きにされ、民主党有力議員による疑獄事件の発端ともなった。
さらに平野農相罷免問題を契機に党内の左派の攻勢が激化した。断固とした処置をして争いになるのを好まぬ片山の性格がそれを許し、「グズ哲」というあだ名がいつしか広まった。
第七章 内閣崩壊
社会党内の左右対立は、公務員への救済金支給の財源を得る公共料金値上げを巡り頂点に達した。予算委員長ながら社会党左派リーダーの鈴木茂三郎が政府予算案を潰す挙に出た。他の与党からも社会党厳しく非難する声が出て、遂に片山は同志の官房長官・西尾末廣の進言を入れ内閣総辞職を行う。在任期間がわずか8カ月と10日だった。
マッカーサーは退陣を惜しんだが、片山の内心には総理退任の理由としてそのマッカーサーに対して芽生えた「言を翻して日本を再軍備させようとしている」という不信の念があった。
第八章 愚図の遺産
片山内閣の後を継いだのは同じ三党の連立による芦田均内閣だった。けれども芦田内閣はさらに短い7カ月で終わった。最大の原因は昭電疑獄だった。保革連立政権のイメージは地に堕ち、「政権は一時預けておくだけだ」と嘯いていた吉田茂のもとに戻った。片山はその後も野党政治家として、護憲、日中国交回復などに力を尽くした。特に政治の浄化に関しては執念と言ってよいほどの動きを続けた。だが社会党の二度の分裂、民社党の結成などを経て、政界での存在権は弱まっていった。片山の信念の日中国交回復を果たした総理は、かつて炭鉱国管疑獄で内閣の足を引っ張った田中角栄だった。
終章
1987年、社会党委員長・土井たか子がスピーチで引用した言葉通り「変えるべきことを変え」「変えられぬことを受け入れる」、片山はその二つを峻別する政治家だった。
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