道元禅師(1200-1253年)によって提唱された「只管打坐(しかんたざ)」――悟るためでなく、ただ坐るものとしての坐禅が、どのようにしたら可能となるかについて、実践に基づく理論を詳述する一冊。著者による前作『現代坐禅講義』(2012年)の続篇。
道元禅師が唱えた「ただ坐る」ものとしての只管打坐の坐禅。道元禅師は信心や信仰と坐禅は不可分であると言われ、また坐禅は万人に開かれているとも言われたが、どうしても坐禅そのものは僧侶(出家者)向けと言わざるを得ない面があるだろう。
ところが、時代は下り、アメリカから日本へ逆輸入される形で“Dogen-Zen”がもたらされ、「マインドフルネス」が脚光を浴びている今日、それらの根底にある只管打坐がアメリカにおいて、僧侶でない一般市民の間で受容されていることが明らかとなりつつある。そこで、アメリカでの仏教の講義や坐禅指導等の経験を持つ著者の観点から、実際、どのようにしたら万人に只管打坐の坐禅が実践できるのかを解説したものが本書である。
著者は只管打坐について、釈尊と道元禅師の両者に一貫するものと捉えた上で、私たちが姿勢や呼吸や眼の働き、心の動きを「制御しようとする」のではなく上手に「解放していく」「手放していく」ことによってこそ実現すると語る。そして、その実践方法を多面的に説明するために、武術・各種セラピー・ソマティックワーク等を援用しながら詳解していく。