上田哲は京大法学部卒業後にNHKに入局し、社会部所属の放送記者としてポリオ撲滅キャンペーンを主導しその名を挙げた。その後、日本放送労働組合(NHK労組)委員長、全日本マスコミ共闘会議初代議長を務め、「NHKの闇将軍」「上田天皇」などと呼ばれたが、1968年NHKを退職し、高い知名度と労組の組織力を生かして参院選で初当選。74年参院選では東京地方区でトップ当選し、79年衆院議員に転じ5期務め、外交・防衛問題で論陣をはった。93年衆院選で落選後、細川内閣の下で小選挙区比例代表並立制を受け入れた社会党の対応を「歴史的な誤り」と批判して離党、護憲新党あかつきを結成し委員長に就任した。55年体制が終焉し人々が抵抗しなくなった時代を、無派閥を貫き、護憲を譲らず、人脈を糧に権力を動かし現実を変えようとしたメディア政治家はどう生きたか。