「哲学は完全に現実的なもので、そのかぎりで現実化できない可能性である。この可能性に執着して離れようとしない政治こそが、唯一の真の政治である」
王が哲学者になるのを欲するのであれば、哲学はそのつど、みずからが現実化しえない存在であることを守護すべきなのだ。
可能的なものと現実的なもの、本質と現実存在を区別することなしには、科学的な知識も、人間の行動を制御する能力もありえなかっただろう。アリストテレスに始まる「可能態(デュナミス)から現実態(エネルゲイア)へ」という存在論の長い系譜学、および哲学と政治における分節化の過程を本書はたどり直す。西洋文明のパワーの源は、この「存在論的マシーン」の中に在った。だが不断の現実化は、現実の根源的な否定である。
最も偉大な知とは、或る事物を知っていることではなくて、その認識可能性を知っていることだ。プラトンの「コーラ」は、純粋の受容性の経験のなかで認識可能性を与える空間ないし場所である。
著者の「脱構成的な可能態の理論」は、〈ホモ・サケル〉シリーズの最終巻『身体の使用』から実り豊かな深化を遂げた。関連しあう二本の論考および基本的テーマを先取りした付録「准教授採用試験のための講義」を収める。