1965年に雑誌『新潮』で連載が始まり、連載終了後に単行本『本居宣長』にまとめられて以来、現在までさまざまな版で出版されてきた小林秀雄の大作、『本居宣長』。昭和の時代から令和まで、『本居宣長』をめぐる言説は数多く存在するが、日本語学・日本語の歴史・日本語の表記を通して日本語を捉えることを専門としてきた著者は、いわば本居宣長から小林秀雄を逆照射する、独自のアプローチをとる。
本居宣長の考えていたことは、残されたテキストを通してしか知り得ない。その宣長のテキストについての小林秀雄の言説を正確に考えるために、「本居宣長」がとりあげる18世紀の宣長のテキストに直接当たり、さらに『古事記伝』から8世紀の『古事記』へ、『紫文要領』から11世紀の『源氏物語』のテキストへと遡ることもする。
こうした手順を踏みながら、「日本の始原」を知ろうとした本居宣長が古典をどう読み、何を考えていたかを「追跡(トレース)」し、同時に、その「宣長のよみ」を現代人である小林秀雄がどう捉えていたかを「追跡(トレース)」する。
そうすることで見えてくるのは、18世紀の本居宣長と、20世紀の小林秀雄の言語観の重なり、そしてズレ――
そうした「小林秀雄のよみ」を、昭和から令和にかけての文筆家たちはどう受けとめてきたか。それぞれの時代の「よみ」の検証を通じて、過去の日本、現在の「日本を知る」一冊。