- 発売日:2025/07/30
- 出版社:ナカニシヤ出版
- ISBN:9784779518645
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商品説明
ハイデガーはナチズムのうちに何を見たのか。
そしていつナチズムから離反したと言えるのか。『黒いノート』を含むハイデガーの思索を辿ることで、ナチズムとの対決の本質は、ニーチェ形而上学の克服であったことを証明する渾身の一冊。
「ハイデガーとナチズム」問題は、ハイデガーのテキストを読むことなしには論じえない。そして逆も真である。この問題を避けて通るとすれば、あるいはスキャンダルやエピソードとして扱うとすれば、そうしたハイデガー解釈はハイデガー哲学の核心に触れることはないだろう。「ハイデガーとナチズム」問題は、ハイデガーのテキストへ導くとともに、テキストの読みの試金石ともなるのである。(「序」より)
●著者紹介
細川亮一(ほそかわ・りょういち)
1947年東京都に生まれる。1970年東京大学文学部卒業。1975年東京大学博士課程修了。1984―1986年フンボルト奨学生としてドイツ留学。1995-1996年アメリカ合衆国留学。文学博士(東京大学)。
現在 九州大学名誉教授
著書:『意味・真理・場所』(創文社,1992年),『ハイデガー哲学の射程』(創文社,2000年),『ハイデガー入門』(ちくま新書,2001年),『形而上学者ウィトゲンシュタイン』(筑摩書房,2002年),『ヘーゲル現象学の理念』(創文社,2002年),『アインシュタイン物理学と形而上学』(創文社,2004年),『純化の思想家ルソー』(九州大学出版会,2007年),『道化師ツァラトストラの黙示録』(九州大学出版会,2010年),『要請としてのカント倫理学』(九州大学出版会,2012年)
訳書:『真理の本質について』(ハイデガー全集第34巻)(創文社,1995年)
編著:『幸福の薬を飲みますか』(ナカニシヤ出版,1996年)
そしていつナチズムから離反したと言えるのか。『黒いノート』を含むハイデガーの思索を辿ることで、ナチズムとの対決の本質は、ニーチェ形而上学の克服であったことを証明する渾身の一冊。
「ハイデガーとナチズム」問題は、ハイデガーのテキストを読むことなしには論じえない。そして逆も真である。この問題を避けて通るとすれば、あるいはスキャンダルやエピソードとして扱うとすれば、そうしたハイデガー解釈はハイデガー哲学の核心に触れることはないだろう。「ハイデガーとナチズム」問題は、ハイデガーのテキストへ導くとともに、テキストの読みの試金石ともなるのである。(「序」より)
●著者紹介
細川亮一(ほそかわ・りょういち)
1947年東京都に生まれる。1970年東京大学文学部卒業。1975年東京大学博士課程修了。1984―1986年フンボルト奨学生としてドイツ留学。1995-1996年アメリカ合衆国留学。文学博士(東京大学)。
現在 九州大学名誉教授
著書:『意味・真理・場所』(創文社,1992年),『ハイデガー哲学の射程』(創文社,2000年),『ハイデガー入門』(ちくま新書,2001年),『形而上学者ウィトゲンシュタイン』(筑摩書房,2002年),『ヘーゲル現象学の理念』(創文社,2002年),『アインシュタイン物理学と形而上学』(創文社,2004年),『純化の思想家ルソー』(九州大学出版会,2007年),『道化師ツァラトストラの黙示録』(九州大学出版会,2010年),『要請としてのカント倫理学』(九州大学出版会,2012年)
訳書:『真理の本質について』(ハイデガー全集第34巻)(創文社,1995年)
編著:『幸福の薬を飲みますか』(ナカニシヤ出版,1996年)
目次
序
序章 『ドイツ大学の自己主張』
第一節 創造者の三位一体とドイツ民族の負託
一 創造者の三位一体
二 ドイツ民族の負託
――別の始元への移行――
三 指導者自身が指導される者である
四 精神的世界のみが民族にその偉大さを保証する
五 闘争とポレモス
六 クラウゼヴィッツとドイツ運動
第二節 始元‐終末‐別の始元
一 神は死んだ
二 最後のドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェ
三 ギリシア哲学の勃興としての始元
四 始元の偉大さを再び取り返すという遥かなる指令
五 知の反抗と無力
六 アイスキュロスと試作・思惟
第三節 意志としての自己主張
一 自己主張は自分自身を意志する
二 学への意志としての自己主張
三 すべての偉大なものは嵐のなかに立つ
四 我々は我々自身を意志する
五 自己批判としての『形而上学の克服』
――意志の形而上学――
六 創造者の三位一体
――「ハイデガーとナチズム」の解釈視点―
第一章 創造者の三位一体
第四節 創造者の三位一体の展開
一 夢を見ている子ども
二 秘められた精神的なドイツの見えざる前線に留まる
三 哲学は直接には役に立たないが、しかし主宰的な知である
四 詩人‐思惟者‐国家創造者
――一九三四/三五年冬学期講義――
五 ヘルダーリン―ニーチェ―ヒトラー
六 詩人‐思惟者‐政治家
――『形而上学入門』――
七 真理が生起するあり方
――『芸術作品の根源』――
八 試作‐思惟‐行為‐犠牲
――『哲学への寄与』――
九 詩人・建設者・思惟者・政治家の創造
――一九三七/三八年冬学期講義――
十 創造者の三位一体の放棄
第五節 創造者の三位一体のモデル
一 ギリシアの始元とドイツ運動
二 ホメロスによる詩作‐哲学の覚醒‐国家形成
三 三つの偉大な力がともに働いた
四 テクネー(アレーテウエイン)としての作品の創造
五 哲人王の理念
六 詩人と思惟者の民族
第六節 『存在と時間』からナチズムへ
一 『存在と時間』からナチズムへの直接的な道?
二 歴史性と民族と決意性
三 私の死から神の死へ
四 ドイツ民族
――我々とは誰か――
五 学的哲学の理念から「姉妹」テーゼへ
六 始元の反復
七 創造者の三位一体への最初の一歩
八 困窮
――ナチズムへの最初の一歩――
九 暗さからの開放者
――ナチズムへの思想的関与――
十 メタ‐政治としての形而上学
第二章 形而上学
第七節「存在論‐神学」としての形而上学の二重性
一 形而上学の定義と第一哲学
二 人間の有限性と主導的問いの二つの根本方向の一性
三 哲学は普遍的な存在論である
四 「範例的存在者=現存在」による「哲学=存在論」の理念
五 「存在者的基礎=現存在」による「哲学=存在論」の理念
六 存在論からメタ存在論への転化
七 主導的問いの接合構造における転回
八 メタ存在論
――全体としての存在者を主題とする――
九 存在者としての存在者への問い
――プロス・ヘン――
十 全体としての存在者への問い
――自然、人間、神――
第八節 存在の意味への問いと『存在と時間』の挫折
一 Woraufhinとしての意味
二 存在論‐現象学‐解釈学
三 存在者の意味と存在の意味
四 挫折の現場とその自覚
――無限進行と自己企投――
五 機械的な反復と超越論的な問い
――杣道――
六 主導的問いの形而上学とその克服
七 『存在と時間』の根本欠陥
――あまりに先に敢えて進みすぎた――
八 超越態的差異と地平の克服
九 『存在と時間』から『時間と存在』への転回
十 形而上学の言葉と『存在と時間』の根本経験
第九節 形而上学の展開
一 超越としての世界内存在
二 基礎的存在論‐メタ存在論
三 超越の形而上学
四 形而上学による最後の誤解を投げ捨てる瞬間
五 自由の形而上学
六 自由から創造へ
――人間の本質への解放――
七 創造の形而上学
八 形而上学の克服
――主導的問いの形而上学と意志の形而上学――
九 形而上学の歴史
――その始元と開始――
十 挫折する哲学
第三章 神の死
第十節 まったく新たな始まり
一 時代の哲学
二 深い退屈
――困窮のなさという困窮――
三 哲学は郷愁である
四 世界‐有限性‐孤独
五 偉大な者たちの最後の者
――フリードリッヒ・ニーチェ――
六 神は死んだという根本経験に襲われた
七 神への問いと形而上学の構想
八 芸術(詩作)は哲学の姉妹である
九 ヘルダーリンの語が運命となった
第十一節 ヘルダーリン
一 将来を指し示し神を待ち望む詩人
二 ドイツ人の詩人
三 祖国ゲルマニア
四 形而上学的場所から形而上学の克服へ
五 神の死と終末=移行
六 ギリシア人とドイツ人の固有なもの
――ディオニュソス的なものとアポロ的なもの――
七 詩作‐思惟‐国家創造から思惟‐詩作へ
八 思惟者は存在を言う、詩人は聖なるものを名指す
第十二節 ニーチェ
一 ナチズムとの対決はニーチェ形而上学との対決である
二 ニヒリズムへの反対運動
三 神の死のニヒリズム
四 「存在=価値」のニヒリズム
――意志の形而上学――
五 蛇の頭を噛み切る牧人から聖なる影のうちに住む牧人へ
六 偉大な西洋の思惟者の最後の者
――別の始元への移行――
七 西洋の最後の形而上学者
――近代の完成の開始への移行――
八 主導的問いの形而上学のうちに閉じ込める
九 プラトニズムの逆転
十 ナチズムはニーチェ形而上学の政治的な現象形態である
第四章 ハイデガーが見出した「ナチズムの偉大さ」
第十三節 ナチズム革命
一 革命は始まってさえいない
二 ナチズム革命の本質は創造者の三位一体のうちにある
三 革命は我々ドイツの現存在の完全な変革をもたらす
四 総統のみがドイツの現実であり、その法則である
五 政治的意志と力と知
六 詩人と思惟者は重労働者ほど食物を必要としない
七 国家は芸術作品ではない
――労働国家――
八 別の形而上学
――真理と労働――
九 ナチズム革命の否定
第十四節 この運動の内的真理と偉大さ
一 「内的真理と偉大さ」と「惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い」
二 民族の歴史的偉大さ
三 形而上学的民族
四 始元を別の始元へ変容させる
五 歴史の場としてのポリス
六 ポリスと政治的なものの切り離し
七 ナチズムの歴史的唯一性
八 近代への問い
第十五節 惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い
一 一九三八年
――ナチズムからの離反――
二 機械的経済と超人
三 技術を形而上学的に超克する
四 ユンガーと力への意志の形而上学
五 ナチズムはその方向へ向かいました
六 別の始元への移行の可能性
七 近代の完成が開始する
八 「形而上学的に」(つまり存在史的に)思惟する
――ナチズムの存在史的な偉大さ――
結 自己批判
――ナチズムとの本質的な対決――
*
註
あとがき
序章 『ドイツ大学の自己主張』
第一節 創造者の三位一体とドイツ民族の負託
一 創造者の三位一体
二 ドイツ民族の負託
――別の始元への移行――
三 指導者自身が指導される者である
四 精神的世界のみが民族にその偉大さを保証する
五 闘争とポレモス
六 クラウゼヴィッツとドイツ運動
第二節 始元‐終末‐別の始元
一 神は死んだ
二 最後のドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェ
三 ギリシア哲学の勃興としての始元
四 始元の偉大さを再び取り返すという遥かなる指令
五 知の反抗と無力
六 アイスキュロスと試作・思惟
第三節 意志としての自己主張
一 自己主張は自分自身を意志する
二 学への意志としての自己主張
三 すべての偉大なものは嵐のなかに立つ
四 我々は我々自身を意志する
五 自己批判としての『形而上学の克服』
――意志の形而上学――
六 創造者の三位一体
――「ハイデガーとナチズム」の解釈視点―
第一章 創造者の三位一体
第四節 創造者の三位一体の展開
一 夢を見ている子ども
二 秘められた精神的なドイツの見えざる前線に留まる
三 哲学は直接には役に立たないが、しかし主宰的な知である
四 詩人‐思惟者‐国家創造者
――一九三四/三五年冬学期講義――
五 ヘルダーリン―ニーチェ―ヒトラー
六 詩人‐思惟者‐政治家
――『形而上学入門』――
七 真理が生起するあり方
――『芸術作品の根源』――
八 試作‐思惟‐行為‐犠牲
――『哲学への寄与』――
九 詩人・建設者・思惟者・政治家の創造
――一九三七/三八年冬学期講義――
十 創造者の三位一体の放棄
第五節 創造者の三位一体のモデル
一 ギリシアの始元とドイツ運動
二 ホメロスによる詩作‐哲学の覚醒‐国家形成
三 三つの偉大な力がともに働いた
四 テクネー(アレーテウエイン)としての作品の創造
五 哲人王の理念
六 詩人と思惟者の民族
第六節 『存在と時間』からナチズムへ
一 『存在と時間』からナチズムへの直接的な道?
二 歴史性と民族と決意性
三 私の死から神の死へ
四 ドイツ民族
――我々とは誰か――
五 学的哲学の理念から「姉妹」テーゼへ
六 始元の反復
七 創造者の三位一体への最初の一歩
八 困窮
――ナチズムへの最初の一歩――
九 暗さからの開放者
――ナチズムへの思想的関与――
十 メタ‐政治としての形而上学
第二章 形而上学
第七節「存在論‐神学」としての形而上学の二重性
一 形而上学の定義と第一哲学
二 人間の有限性と主導的問いの二つの根本方向の一性
三 哲学は普遍的な存在論である
四 「範例的存在者=現存在」による「哲学=存在論」の理念
五 「存在者的基礎=現存在」による「哲学=存在論」の理念
六 存在論からメタ存在論への転化
七 主導的問いの接合構造における転回
八 メタ存在論
――全体としての存在者を主題とする――
九 存在者としての存在者への問い
――プロス・ヘン――
十 全体としての存在者への問い
――自然、人間、神――
第八節 存在の意味への問いと『存在と時間』の挫折
一 Woraufhinとしての意味
二 存在論‐現象学‐解釈学
三 存在者の意味と存在の意味
四 挫折の現場とその自覚
――無限進行と自己企投――
五 機械的な反復と超越論的な問い
――杣道――
六 主導的問いの形而上学とその克服
七 『存在と時間』の根本欠陥
――あまりに先に敢えて進みすぎた――
八 超越態的差異と地平の克服
九 『存在と時間』から『時間と存在』への転回
十 形而上学の言葉と『存在と時間』の根本経験
第九節 形而上学の展開
一 超越としての世界内存在
二 基礎的存在論‐メタ存在論
三 超越の形而上学
四 形而上学による最後の誤解を投げ捨てる瞬間
五 自由の形而上学
六 自由から創造へ
――人間の本質への解放――
七 創造の形而上学
八 形而上学の克服
――主導的問いの形而上学と意志の形而上学――
九 形而上学の歴史
――その始元と開始――
十 挫折する哲学
第三章 神の死
第十節 まったく新たな始まり
一 時代の哲学
二 深い退屈
――困窮のなさという困窮――
三 哲学は郷愁である
四 世界‐有限性‐孤独
五 偉大な者たちの最後の者
――フリードリッヒ・ニーチェ――
六 神は死んだという根本経験に襲われた
七 神への問いと形而上学の構想
八 芸術(詩作)は哲学の姉妹である
九 ヘルダーリンの語が運命となった
第十一節 ヘルダーリン
一 将来を指し示し神を待ち望む詩人
二 ドイツ人の詩人
三 祖国ゲルマニア
四 形而上学的場所から形而上学の克服へ
五 神の死と終末=移行
六 ギリシア人とドイツ人の固有なもの
――ディオニュソス的なものとアポロ的なもの――
七 詩作‐思惟‐国家創造から思惟‐詩作へ
八 思惟者は存在を言う、詩人は聖なるものを名指す
第十二節 ニーチェ
一 ナチズムとの対決はニーチェ形而上学との対決である
二 ニヒリズムへの反対運動
三 神の死のニヒリズム
四 「存在=価値」のニヒリズム
――意志の形而上学――
五 蛇の頭を噛み切る牧人から聖なる影のうちに住む牧人へ
六 偉大な西洋の思惟者の最後の者
――別の始元への移行――
七 西洋の最後の形而上学者
――近代の完成の開始への移行――
八 主導的問いの形而上学のうちに閉じ込める
九 プラトニズムの逆転
十 ナチズムはニーチェ形而上学の政治的な現象形態である
第四章 ハイデガーが見出した「ナチズムの偉大さ」
第十三節 ナチズム革命
一 革命は始まってさえいない
二 ナチズム革命の本質は創造者の三位一体のうちにある
三 革命は我々ドイツの現存在の完全な変革をもたらす
四 総統のみがドイツの現実であり、その法則である
五 政治的意志と力と知
六 詩人と思惟者は重労働者ほど食物を必要としない
七 国家は芸術作品ではない
――労働国家――
八 別の形而上学
――真理と労働――
九 ナチズム革命の否定
第十四節 この運動の内的真理と偉大さ
一 「内的真理と偉大さ」と「惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い」
二 民族の歴史的偉大さ
三 形而上学的民族
四 始元を別の始元へ変容させる
五 歴史の場としてのポリス
六 ポリスと政治的なものの切り離し
七 ナチズムの歴史的唯一性
八 近代への問い
第十五節 惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い
一 一九三八年
――ナチズムからの離反――
二 機械的経済と超人
三 技術を形而上学的に超克する
四 ユンガーと力への意志の形而上学
五 ナチズムはその方向へ向かいました
六 別の始元への移行の可能性
七 近代の完成が開始する
八 「形而上学的に」(つまり存在史的に)思惟する
――ナチズムの存在史的な偉大さ――
結 自己批判
――ナチズムとの本質的な対決――
*
註
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