◆百句シリーズに飯田蛇笏が登場!
雄勁荘重にして
◆解説より
蛇笏は、明治十八年四月二十六日、現在の山梨県笛吹市境川町小黒坂に飯田家の長男として生まれた。本名、武治。京北中学、早稲田大学に通った約六年間を除いて、生家である通称山廬に生涯を過ごし、俳人として活動、俳誌「雲母」を主宰、昭和三十七年十月三日、七十七歳の生涯を郷里で閉じた。
蛇笏は、早稲田大学時代小説を執筆、新体詩を創作し、「文庫」「新聲」といった投稿雑誌に旺盛に投稿している。文学への憧れとロマンチシズムがかつての小説や詩を書く視点をもたらしたのだろう。
この頃大正四年には愛知県から俳誌「キララ」が創刊され、蛇笏は第二号から雑詠の選を担当、大正六年には誌名を「雲母」と変え主宰となった。以後、俳句の発表、雑詠欄の選句、鑑賞の執筆など、俳誌の運営に力を注ぐ傍ら、境川村の地元句会「笹鳴会」をはじめとする各地の句会の指導に邁進する。「雲母」は、蛇笏の拠って立つところとなり、俳誌運営は生涯続いた。