序 章 グローバルな物語としての『パチンコ』――小説からドラマへ 玄武岩
1 ドラマ『パチンコ』の世界――移動・交差・因業
2 『パチンコ』は誰の物語なのか
3 「記憶と和解」のポリティクス
第1部 国際シンポジウムの記録
第1章 基調講演『パチンコ』と在日コリアンの「社会資本」――歴史とフィクションのはざま テッサ・モーリス=スズキ
1 小説『パチンコ』に関する読者の反応
2 小説とテレビドラマ
3 歴史に対する真摯さ
4 ラムザイヤー論文と在日コリアンの歴史
5 映画『否定と肯定』で語られている歴史に対する真摯さとフェイク
6 在日コリアンの過去と現在――歴史とフィクション
第2章 座談会 ドラマ『パチンコ』から考えるグローバル・メディア時代の記憶と忘却 テッサ・モーリス=スズキ/鄭炳浩/姜信子/金敬黙
コラム1 『パチンコ』第1シーズンの歴史考証の諮問団に参加して 李成市
コラム2 複数の声が集まる現場から 伊地知紀子
コラム3 私が『パチンコ』を制作したくなかった理由 スー・ヒュー
第2部 『パチンコ』を読み解く
第3章 ドラマ『パチンコ』の「在日」表象を可能にしたもの ハン・トンヒョン
1 韓国メディアの「在日」表象
2 戦後日本映画の「在日」表象
3 ドラマ『パチンコ』の「在日」表象からみえること
4 ドラマ『パチンコ』の「在日」表象の背景
第4章 植民地時代を描くことの難しさ――創作者の立場から 深沢 潮
1 日本の小説や映像の在日コリアン
2 忖度の問題
3 『パチンコ』の植民地統治下の朝鮮と日本の情景の描き方――新しさと従来の踏襲
4 とくに注目する描き方の新しさ
5 学知と社会の中間を描くことの難しさ
6 四世代ものが「良質な物語」を構築しえるか
7 作品のリアリティーと歴史のリアルのはざま
8 「在日」の表象としてのパチンコ
第5章 ドラマ『パチンコ』が映し出す世界と「Zainichi」の生――猪飼野の路地からみえる「世界」 伊地知紀子
1 個人の生と植民地支配という暴力
2 猪飼野という町と朝鮮人
3 路地からみる「世界」
第6章 二つの『パチンコ』の歴史の語り方――登場人物と警察の関係に注目して 宮地忠彦
1 ドラマ版での登場人物と警察の関係の描写や歴史の語り方
2 小説『パチンコ』の警察官像と歴史の語り
第7章 描かれた朝鮮人虐殺と描かれていないこと 小薗崇明
1 「日本人」と「朝鮮人」をどのように区別したのか
2 朝鮮人虐殺は九月一日?
3 悪いのは自警団だけ?
コラム4 コ・ハンスはどのように済州島から日本へ渡ったのだろうか 高鮮徽
コラム5 徳寿丸で自決したソプラノ歌手と尹心悳 武藤 優
コラム6 朝鮮人社会とキリスト教、そしてパチンコ玉の人生 藤野陽平
第3部 『パチンコ』と歴史表象のポリティクス
第8章 世界は『パチンコ』をどう観たか――三言語・アジア・移民の物語 李美淑
1 三言語のドラマが表象する植民地主義
2 アジアンの物語であり、グローバルな物語
3 移民の物語であり、普遍的な物語
4 交差する物語と親密性――つながりの未来へ
第9章 なぜ日本では『パチンコ』がはやらなかったのか 倉橋耕平
1 ウケる「国民の物語」
2 「移行期不正義」を認めない日本社会
3 学知と社会の中間の模索
第10章 『パチンコ』とOTTナラティブのリアリティー――受容者資源論との接点 イム・ジョンス
1 グローバルOTTと歴史再現の新たな挑戦
2 OTT大河ドラマ『パチンコ』を読む
3 OTT大河ドラマのリアリティー――受容者資源論
第11章 歴史のナショナル/グローバルな占有を超えて――ラムザイヤー論文と『パチンコ』の距離 趙慶喜
1 加害―被害の無効化
2 普遍的主体の再生産
3 被害者の自己責任論
4 文化的レイシズム
5 歴史のグローバルな占有
コラム7 記憶のグローバル化とドラマ『パチンコ』 松井理恵
コラム8 小説『パチンコ』と対照的な、マーク・ラムザイヤーの在日コリアン論文の語り 宮地忠彦
あとがき 玄武岩