デカルトは「近代哲学の父」と言われるが,それはなぜであろうか。「コギト」という近代哲学の原理を打ち立て,近代科学を産み出す幾何学的方法の発見,前時代の学を根本的に壊滅させ,物体の本質を延長とみなす機械論的科学論などがその理由である。しかし現代においてヨーロッパ哲学はデカルト哲学というアイデンティティを失い自己喪失に陥っている。本書はデカルト研究を通して再び「哲学すること」を問いかける。
第Ⅰ部では,まずプラトンからベイコンへ至る方法論の歴史をたどり,その上でデカルトが見出した,既知の規則に縛られることのない,精神を未知の問題解決の極意へと導く,数学をモデルとした普遍学の「方法」の純粋で単純な性質を提示する。
第Ⅱ部では,方法に則った「懐疑」の意図とその対象,妥当性を考察する。デカルトの懐疑が,既存の知を疑い,新たな形而上学の原理を発見し,さらにそれを基に機械論的な自然学への途を開く。
第Ⅲ部では,真に疑えないもの「コギト」が見出される過程を追う。〈コギト・エルゴ・スム(私は思惟する,それゆえ,私はある)〉の内部構造と方法主体「エゴ」の分析的方法に支えられたあり方を見ていく。
第Ⅳ部では,第一哲学(存在論)と方法,さらに第一哲学の方法の主体を掘り下げる。デカルト形而上学の知性弁護論的性格や,方法と第一哲学との互いに基づけ合う循環構造といった仕組みが明らかとなる。
本書はデカルト研究,哲学史研究を,たんなる対象研究に終わらせるのではなく,自らの「哲学の実践」とすることを示した労作。