はじめに
プロローグ 「心の傷」という視点から見えるもの
⑴激増する不登校(心の傷)と相談内容の変化が意味すること
⑵不登校の本質から親の位置と役割を考える
⑶最近の相談と「心の傷」の視点から見えること
第1章「心の傷」としての不登校(不登校の実態)
1.「心の傷」それは不登校理解のキーワード
⑴データから見える不登校の激増
⑵登校の激増を「災害級」の問題と捉える意味
不登校30万人は氷山の一角
不登校の激増による「心の傷」への気づき
<私と「心の傷」(トラウマ)という言葉との出会い>
<「心の傷」それは不登校理解のキーワード
子どもと学校のミスマッチの拡大
⑶「心の傷」を表出する三つのシグナルについて
症状として表れる心のシグナル
行動として表れるシグナル
叫びとして表れるシグナル
2.不登校は命の問題─松本俊彦氏の研究に学ぶ「心の傷」─
⑴不登校と自殺の関係を示唆する研究に学ぶ─自殺研究から見る不登校―
⑵松本氏が提示した三つの結論
不登校支援の目的を「学校復帰」と考えることは誤りである
「無理に登校させようとすると自殺する」とみるのは短絡的である
「不登校は子どもが生き延びる戦略」で、ときに必要なもの
⑶松本氏の研究から学ぶ教訓―親を支援することの重要性―
不登校支援において最も大切なこと
不登校の初期は特に苦悩が深く慎重なケアが必要(ありのままの受容)
不登校の親が最初に相談する人(教師とSC)の力量の重要性
「大丈夫」と思える親の存在の重要性
3.わが子の「不登校」に直面して親が考える本質的な問題
⑴ 原因を探すことはなぜだめなのか―原因と要因の区別を考える─
⑵ 「寄り添う」とはどういうことか
子どもの話に関心をもって聴きとること
母親と父親で異なる「寄り添い」に至るプロセス
親と子の相互の受け入れ合いとしての「寄り添い」
第2章子どもの心が傷つく要因とは─子どもの育ちと公教育の変質─
1.子どもの言葉に表れた「心の傷」
⑴電話相談に寄せられた子どもたちの声から
「心を殺さない学校もう終わりにしたい」
「もう終わりにしたい」―評価と序列は命より大切だから―
「自分がわからない」―「人からどう思われるか」ばかり気になるー
⑵「学校が怖い」のはなぜか─中学受験の過熱と「教育虐待」の増加─
恐怖感の中身
「子ども時代」を奪う中学受験の現実
「子どものため」が教育虐待を生む時代
2.心の傷の背後にあるもの
⑴小中学生に見られる学校拒否感
学校から消える生活的潤い
競争のための勉強への違和感
「学び」を欠いた勉強─「学習」と「学び」の違いから─
⑵育ちの課題をパスさせられる子どもたち
育ちの筋道
・ギャングエイジとギャングあそび
・チャムの成立
・クリークの形成
人格形成に欠かせぬこと
第3章育ちの法則を無視した教育改革の中で
1.人格の形成より人材の養成
⑴早すぎる英語教育
⑵人間の科学の軽視
⑶ 言葉の発達の順番
2.不登校の親と子どもが感じる学校への違和感
⑴ 能力主義が蝕む子供たちの人間関係
⑵学校の二極化と教育の複線化
⑶何よりも重要なのは能力主義からの転換
⑷学校は失敗を経験するためにある
3.能力主義の教育を下から支える方法としての管理
⑴起立性調節障害と「隠れ校則」
⑵低年齢化している競争と管理の教育
⑶反省はあっても失敗はない子育て
第4章不登校の子どもと歩む親たちの想いに学ぶ
1.二つの比較を乗り越えて―不登校、それは家庭に助けを求めた子どもたちの姿―
⑴普通、それは比較の言葉
⑵「わが子」と「わが子ども時代」との比較―無意識の比較
⑶親の自己改革に歩調を合わせて子どもは育ちなおしをする
2.親の自己変革に見る三つの心のステージ
⑴第一のステージ=それは親である自分の苦悩が中心になっている
⑵第二のステージ=それは子どもの気持ちへと心の重心が変化する
⑶第三のステージ=それは子どもを信じて待つことができる
3.親と子どもの育ちなおしに学ぶ
⑴「治す心」は親中心、「ケアの心」は子ども中心
⑵ケアすることのむずかしさと大切さ
⑶「わが子」を「一人の人間」として尊重すること
⑷話しかけてくれるたことにかちがある
エピローグ 「心の傷」の癒しと育ちなおし
⑴「心の傷」に注目するもう一つの意味
⑵「心の傷」の癒しと育ちなおしについて
終わりにあたって
参考文献