1953年(昭和28年)にNHKに入局以来、71年間大相撲を見続けて来た杉山邦博さん。多くのスポーツ実況にもかかわり、今年95歳を迎える。昭和の生き証人として“巨人・大鵬・卵焼き の時代”を語る。
“巨人 大鵬 卵焼き”は、なぜ昭和の子供たちに支持されたのか。
相撲と野球は、ラジオやテレビの電波放送により急速に普及をしました。
強い横綱や強打者のホームランを観て喜びや感動を共有することができるようになったのです。
昭和33年に東京タワーが出来てテレビ時代に突入しテレビが普及。高度経済成長期の昭和36年には大きくて強い横綱「大鵬」が誕生。同時期に巨人がV9を達成し、子どもの好きな言葉を並べた“巨人 大鵬 卵焼き”という言葉が出来上がります。
カラーテレビの普及、大相撲中継、東京オリンピック・・・。数々の現場に立ち会ってきた生き証人の元NHKアナウンサー「相撲の杉山」さんと相撲ジャーナリストの荒井太郎さんが、当時の昭和を、テレビ放送を、なにより大鵬を熱く語っています。
“相撲の杉山”原点は母の前で再現した「大相撲実況」。国技館から1000キロも以上の離れた場所で育った少年はアナウンサーを志したものの、壁に阻まれる。幾多の壁をどのように越えたのか。アナウンサーになるまでの秘話も必読です。
『昭和35年9月、東映対大毎戦の実況後、大学の同級生・荒川博君に挨拶すると「この後、俺んちに寄ったらどうだ」って言うんですよ。遊びに行ったら、夜中の12時ごろ、その日後楽園球場で試合を終えた王が来たんですよ』(88頁より抜粋)などのエピソードも満載です。