著者の父 宮﨑 實氏は旧日本軍の歩兵として東南アジアを転戦した。
欧米を敵とする太平洋戦争は1941年12月8日、海軍による真珠湾攻
撃と陸軍によるマレー半島への奇襲上陸によって火ぶたを切った。
その20日ほど前の11月16日、宮﨑 實氏が所属する大村歩兵第
146連隊も、南方へ向けて門司港を出港している。戦地に向かう輸
送船での生活、兵たちの会話、ジャングルでの訓練、そして開戦当
日「わが兵団は、これよりフィリピンのダバオ島に敵前上陸する。
九州男児の名に恥じないように」との短い訓示があったことなど、
その場にいた兵士しか書けない記録は生々しく極めて貴重である。
至近距離での手榴弾の投げ合い、戦闘機による機銃掃射、そして空
爆で、隣にいた戦友の首や腕や足が千切れ、顔が砕け、内臓が飛び
出てむごたらしく死んでいく。その瞬間も内地の母や妻が、息子や
夫の無事をひたすら祈り続けている。
淡々と記されるこれら戦場の証言が、私たちは本当に真剣になって
戦争を避けなければならないことを伝えてくれる。
宮﨑 實氏は1940年秋21歳で応召し、人が身近で殺しあう戦闘の
地獄を体験し、1946年5月27歳で復員した。本書は次男の裕爾氏
が、2003年に83歳で死去した父の遺品の中にあった戦友会の手記
等をもとに、父の6年に及ぶ戦いや軍隊生活の細部を書き起こした
ものである。兵士たちによる詳細な記録を読むと、旧日本軍ははた
して組織として正常に機能していたのだろうかという疑問が湧いて
くる。無責任な高級将校やエリートで占められた軍上層部のために、
多くの有為の青年たちが無駄死にしていったことに腹の底から憤りを
覚える。
否応なく徴兵されて兵隊にされ、戦地に運ばれ、銃を持たされ、無残
に死んでいった若者たちが、今の私たちに「お前たちは賢明になれ!」
と迫ってくる。日中戦争から太平洋戦争そして敗戦まで、東南アジアや
中国で戦った兵士たちの声を聞き過ごしてはならない。