第一部 深田康算
第一章 師をめぐる喪の作業
ラファエル・ケーベル来日 | 師の死 | 呼称に関する奇妙な配慮
師との訣別
第二章 「型」の行方
「古き形式」と「新なる形式」 | 『武士道』と『修養』
深田康算における美学の端緒 | 事物ノ理ヲ説キ書ヲ読ミ文ヲ作ルモ
籠城主義から教養主義へ
第三章 ふたつのケーベル
キリスト教的汎神論 | 「籠城」と「大洋」 | 汎神論と教育勅語
「私の神」 | 教養主義の「誕生」
「我々は知らない」と「我々の祖先」 | 「ドイツであった」
第四章 アポスタータ
アポスタータとユダ | ユリアヌス | 深田康算とユリアヌス
「恣」の詩から離れて | アレゴリー
第五章 芸術批評をめぐって
「製作と理論」と「宗教と美術」 | 眼を閉じた後で | 批評の意義
批評と「公衆」 | 「疑惑」とともに猥雑に | 印象批評と客観批評
民主主義と自由主義 | 「見ゆる」もの
第二部 中井正一
第一章 師の予見?――滝川事件Ⅰ
澤柳事件 | フィヒテ追放と滝川事件 | 滝川事件の方へ
第二章 ドレフュス革命として――滝川事件Ⅱ
平常への回帰 | ドレフュス事件でなく | 知識人
「ありきたり」でなく、かつ「万人向き」に | 一九三三年のドレフュス革命
真理とマリアンヌ | 滝川事件における中井正一
第三章 ドレフュス革命後の「リアリズム」
「昭和十年前後」のドレフュス革命 | 滝川事件前後の反革命
「原因としてのロマン」へ | リアリズム批判
第四章 「リアリズムと浪曼主義」
故郷喪失と「嘘」 | Romanの消滅 | 文芸復興と宗教改革
二様の「悪魔」 | 「人類の等質化」のなかで | 階級脱落者としての知識人
第五章 「第二の防波堤」
「昭和十年前後」の共産党再建運動 | 平野謙におけるコペルニクス的転回
『世界文化』同人 | 『土曜日』
第六章 「革命の前日」
消費組合運動の興り | 京都家庭消費組合 | 消費にもとづく統制と協同?
「自由主義時代」の終焉の先 | 京都消費組合 | 脱落への「志」
物想うとき
第七章 「ある」の投擲
嘘言の構造 | 回答的評価の機構 | 中井正一におけるコプラ
和辻哲郎におけるコプラ | 保田與重郎におけるコプラ | うつす、ダブらせる