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民族藝術学会誌 arts/ vol.41

民族藝術学会誌 arts/ vol.41

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商品説明
 民族藝術学会は、1984年4月に発足しました。そこでいう民族芸術学は、既成の学問の枠組みを超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を考究する学として構想されました。
 人類の生みだすアートをめぐっては、これまで、主として西洋とその影響下で成立した事象を芸術学や美術史学が研究の対象とし、それ以外の地域の事象、つまり、非西洋の事象を人類学・民族学が研究対象としてきたといった傾向がみられました。このため、この両者の研究は、久しく別々の道を歩いてきた観があります。ところが、今、この二つの分野は急速に接近しつつあります。
 人類学・民族学にとっても芸術学にとっても、問題系を共有するなかで、分野の別を超えた新たな知の領域が開けてきているといってよいでしょう。まさに民族芸術学が必要とされる沃野が広がってきたということができるだろうと思います。
 一方で、この「民族芸術」という言葉自体が使われることは、研究者の間ではほぼなくなってきているというのが実情です。民族藝術学会が学会誌『民族藝術』の英語名称として用いてきた“ethno-arts”という用語も、現在では、世界の先住民族の芸術をさす語として一部で用いられるにすぎません。そのようななかで、「民族芸術」という語を用いた途端、「芸術」とは別に「民族芸術」というカテゴリーがあるかのようにうけとられ、逆に既成の枠組みを超えて芸術を縦横に語ることが難しくなるという状況が、今、生まれてきているといえます。
 新たな学会誌の名称は、こうした状況を打開するために考案されたものです。また、この名称の変更にあわせて、ここで述べたような「学」としての視座を明瞭に示すために、これまで曖昧なままにおかれてきた学会の英語名称を、“Society for Arts and Anthropology” とすることにいたしました。
 民族藝術学会とその学会誌を、既成の学問分野や活動の領域を超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を立場を異にする研究者やアーティストが共に考究する開かれた場として再創造しよう、というのが、この改革の目的です。
目次
// 特集:「民藝」の現在と“arts/ ”:地場性と創造性 //

濱田琢司|序

【シンポジウム 】
[論文]
團 康晃|「民藝運動」の現代史:庄司宣夫氏の実践を手掛かりに
小野絢子|民藝運動と女性の手仕事──岡山県倉敷市の事例を中心に
阿部 純|現代の「暮らし」像の中の「民藝」:生活の美化、無名性、地方
丹羽朋子|中国における〈民芸〉の導入と伝搬──1970年代から現在までの読み替えの変遷史
竹中 均|(コメント)現在の民藝とその周囲

[論文]
村山佳寿子|触察用楽譜「撫譜」と明治期における盲人による記譜の試み──見えない音楽を書き記すこと

[報告]
古沢ゆりあ|カトリック美術協会の画家たちと「日本の聖母」
栗田邦江|芭蕉布の存続と倉敷──平良敏子の仕事と民藝運動

[評論]
岩澤孝子|拡張する音、覚醒する耳
江上賢一郎|協働と連帯の場としての展覧会
山村磨喜子|木下恵介作品にみる異なる価値観の対話と融和──「カルメン故郷に帰る」の初舞台化公演より
小林純子|伊砂利彦への応答──沖縄における型絵染の展開
石 明美|「FIGURA」:モロッコ都市部に生息するキメラ
鈴木聖子|目の見えない音楽家の〈響き〉を未来へ紡ぐ
山下和也|新たに開かれる好奇心──白髪一雄『作品計画帳』と《土蜘蛛》
渡辺亜由美|ジュディ・シカゴと彼女たちの物語
竹中悠美|写真と庭の親和性──シアン・デイヴィーの庭プロジェクトについて
近藤健一|アジアの多義的な地政学と制御不可能な時間についての一回限りの体験
森口まどか|収蔵作品は読み解かれ、継がれる
中塚宏行|中野裕介/パラモデル展を読み解く──N少年の妄想遊戯とその限りなき連鎖
小野尚子|「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」展雑感



中塚宏行|第21回木村重信民族藝術学会賞
加藤瑞穂 著『田中敦子と具体美術協会──金山明および吉原治良との関係から読み解く』
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