1974年、世界の名作映画を世に紹介してきた川喜多かしこ(後に川喜多記念映画文化財団理事長)とともに、当時は映画専門館ではなかった岩波ホール総支配人だった髙野悦子は、上映運動「エキプ・ド・シネマ」(第一回上映はサタジット・レイ監督『大樹のうた』)を始める。
以後、ジャン・ルノワール、ルキノ・ヴィスコンティ、イングマール・ベルイマン、サタジット・レイ、羽田澄子、アンジェイ・ワイダ、アニエス・ヴァルダ、アンドレイ・タルコフスキー、オタル・イオセリアニ、テオ・アンゲロプロスなど巨匠の作品のみならず、第三世界と言われたアジア・アフリカ・南米・東欧などの優れた作品を、半世紀近く上映し、二〇二二年、惜しまれつつ閉館した。
その岩波ホールで、髙野支配人のもと、一九七四年から二〇一九年まで、中心的なスタッフとして企画・広報に携わった、はらだたけひでが語る貴重な証言。