【特 色】
特 色
➀ 第15巻の『醫學大辭書』(上巻)では、明治39年までに研究され、医療
現場で使われていた医学用語などが、語彙数でいえば全5812語収載されており、そのために84名の医療機関、医科大学に勤務の医学博士、医学士を執筆者としている。例えば、Bewusstseinsschwelle(べヴストザインシュヴェレ・独語)の訳語がなくて、森鷗外が「意識の閾」とあてたことはよく知られているが、この巻の「意識障礙」の項には、「意識」の医学的な観点からの定義が示されていて、当時の「哲学」(とくに現象学など)の解釈との違いなどが分かる。同様に「言語」「言語障礙」なども立項されていて、当時の「言語学」との、言語の捉え方などの比較などが出来る。
②第16巻の『醫學大辭書』(下巻)も内容は(書誌としては)、上巻とほぼ
同様であるが、収載の立項語彙数は全4428語となっている。巻末の「醫學大辭書分科目次」も貴重で、当時は「外科学」はあっても「内科学」や「泌尿器科学」などはなく、「醫史」(外国人医師の名前が多い)とか「軍陣醫學」(「三等患者」「野戰病院」の語が載る)の「分科」があって、この時代の医学の歴史を語っている。同じく巻末の各種西欧語の日本語訳も、医学分野の言葉の変遷を知る上で貴重である。
③第17巻の『醫學大辭書』(補遺)では、同書の上下巻で合わせて語彙
10240語の収載に加えて、さらに2440語の追加の収載をしている。この補遺版では、前記と同様の専門医師95名を執筆者にしている。
④ 第18巻の『獨羅和譯 醫語新字典』では、当時使用されていたドイツ語、
ラテン語の医学用語26064語という沢山の語彙の和訳が、日本語の歴史の上でも重要である。『醫學用語集 第一次選定』では、戦時下での外来語としての医学用語の選定、確定、掲載という、医学会の委員会における言葉の決定が注目されるところである。