感情資本に覆われた感情資本主義の快楽・欲望における不安・不快が個々人にあり、感情政治による戦争・虐殺への個々人の怒りがある。知性が支配し、感情が抑制される時代を突き抜けて、感情の知的作用が諸関係を揺るがせている。
感情・情緒は複雑でありいまだ何であるかは判明しえていない。
歴史学、人類学、心理学、社会学、哲学、文学さらには神経科学などの総体において、感情言語の概念は混乱に混乱を極めている。
ラカン、西田幾多郎、九鬼周造、ボルノウらの哲学的考察から、日本の情緒/気の文化を見直し、その述語制論理/心的技術から、不安の情動構造を転移し、新たな「情緒資本」の〈作用の作用〉を見出していく。
文化資本の意志は、知的資本と情緒資本の協働から機能し実在しえていく。ここを社会関係資本で曖昧にし誤魔化し欺いてはならない。
絶対無の場所に、情緒資本を見出していく探究の書。