■能登半島大災害2年目 苦闘そして希望
2024年9月21日発生の豪雨から1年、同年元日の地震からは、まもなく2年――能登半島の被災地における復興は依然として先行きが見えないままだ。市街地や道路の復旧作業が進むものの、今夏の大雨では各所で新たな被害が発生。災害以降に流出した人口が元に戻る気配も見えない。だが厳しい状況下で被災者自らが地域の再生に向けた活動を立ち上げた事例がいくつか生まれている。なおも深刻な被災状況とともに、新たな希望を感じさせる動きについても今回は紹介した。
●1年を経て再び豪雨に見舞われた輪島・珠洲
今も続く苦難 だが他方で住民自ら復興に向けた取り組みも
吉永磨美
9月上旬、秋の訪れを待つ被災地は停滞する前線の影響でひっきりなしの豪雨に見舞われていた。奥能登では土砂崩落などによって道が阻まれ、避難指示が出ていた。今も苦難が続くが、能登の人々はひるまず、復興の道を着実に歩んでいた。
●なお断続する災害、長期化する避難生活で疲弊する人々を取材
「珠洲」「志賀」原発問題に揺れ続けた地域の被災状況
西里扶甬子
能登半島は原発所在地でもある。かつて反対運動にかかわり、珠洲原発建設計画を凍結に追い込んだ人々、そして今も志賀原発の問題に立ち向かう人々は地震・豪雨でどうなったのか。
●情報過疎に陥った半島の被災地でこそ本来必要なメディアだった
能登地震・豪雨から見えた「臨時災害放送局」制度の課題
村上圭子
被災地での情報発信を目的に簡易な手続きのみで開局できる臨時の放送局「災害FM」。しかし本来そのニーズが高かったはずの能登では地震発生から1年半後にやっと1局が生まれたのみ。これまでの経緯を追ってきたメディア研究者が、その背景について解説する。
●被災後の能登半島にたった一つ住民たち自らが立ち上げた放送局
目的は“復興”臨時災害放送局「まちのラジオ」の挑戦
大嶋智博
地震発生から1年半後にようやく被災地に生まれた「災害FM」をサポートするのは、東日本大震災被災地の宮城県女川町で活躍した先輩たち。その主要スタッフを務めた放送作家が経緯を報告する。