清末中国と明治日本において、「民」という文字概念が、どれだけ過激にかつ大胆に使われながら、新しい文学表象を生成したかを明察。
戦争と革命の時代である、明治日本と清末中国において、「民」という一文字が、どのように躍動したか。夏目漱石、石光真清、梁啓超らの文学を丹念に追い、近代国民国家がアジアで形成されるときの、国家に対する人と言葉の抵抗の軌跡を描く、スケールの大きな作品。小森陽一氏推薦!
林少陽先生(澳門大学教授、元東京大学教授)推薦のことば
文豪漱石の小説をグローバルヒストリー、とりわけ20世紀初頭の北東アジアの文脈に位置付けながら再読した結果、著者は清末の満州という、歴史的な場にわれわれを導く。それは、儒教的な政治的倫理的な概念として近代において忘却された「民」を喚起させることによって成し遂げたのである。そしてそれによって、日中の「文学」表現者としての漱石を中心に据えながら、彼を同時代の石光真清、梁啓超、頤瑣(湯宝栄)、俠民(龔子英)、静観子(許俊銓)などを歴史の記述者として同列させた。「民」と「文」という二つのキーワードにより清末研究と明治研究をうまく融合させたのである。
また本書は、明治後期と清末、日本と朝鮮半島・満州、帝国主義形成期の日本と清末革命の中国などの間を去来する歴史を、先にあげた文学者の作品の分析を通して読み取った。特に日清戦争、露清戦争、日露戦争の戦場となった中国の満洲に絞って、「国民」や「新民」の形成との関係にある逸民・遊民・流民・馬賊などに着目しながらユニークな枠組みにおいて北東アジア近代史を描く。特に国際関係の中に馬賊を位置付ける研究は今までなかった。本書はこの空白を埋めたのである。
「文学」こそ、グローバルヒストリーとしてもミクロヒストリ?としても読めることを証明した一冊である。