近鉄大阪線の桜井駅から三輪明神の参道を進むと、日本最古の神社である三輪明神の豪壮な構えが現れる。著者は故郷の伊賀からも訪れやすく、幼少期には父に連れられて何度も参拝し、この神社に特別な親しみを感じるようになった。その経験を通じて日本史に興味を持ち、特に邪馬台国の存在に関心を寄せるようになるものの、具体的な証拠が少ないことに不満を感じていた。そこで、「古事記」を読み、三輪周辺の歴史や邪馬台国の可能性を探求し始めた。「魏志倭人伝」には邪馬台国や卑弥呼についての記述があり、三世紀の日本の様子を詳細に描写している。また、卑弥呼の死以降の王位継承の混乱が崇神天皇時代の動きと重なる部分もあり、その関係性から邪馬台国の舞台は三輪周辺の大和地方であったのではないかと考えるようになった。ただし、邪馬台国の正確な位置は依然として議論の的で、多くの謎が残されている。著者は「倭人伝」や「古事記」、「日本書紀」を比較検討し、卑弥呼を崇神天皇の大叔母と位置づけ、その死後の混乱が当時の皇位を巡る争いと関連していると結論づけた。再び三輪の地を訪れると、過去への思いが強くなり、千年杉や卑弥呼の姿を想像しながら亡き父の教えを思い起こす。「万葉集」の歌には、消えゆく崇神・垂仁王朝の記憶への追慕の情が込められているように感じられる。三輪山を望む故地で、天皇家や卑弥呼時代の物語の深奥に思いを馳せた。