宿業とは運命なのか。『歎異抄』十三条を読み解きながら、ポスト真実時代を生き抜くための、親鸞の宿業観を考察。新装版で復刊。
宿業が救いの事実を表すものだということは、『歎異抄』の前のことばで言うと、無碍なる存在、障りのない人生を生きるということをほんとうに生活の中でうなずくことのできる原点、それが宿業なのだということです。
ところが一般的には、宿業とか業とかいうことばを聞くと、なにかしらあきらめなければならないような気になるのではないでしょうか。(中略)
業ということばは、もとの仏教のことばとしては悪い意味はすこしもないのです。でも私たちは、業が深いというように言います。しかし業というのは、本来行為、行いという意味ですから、行いが深いということになります。行為、あるいは行いの蓄積というのが生活ということですから、行為が深いというのは生活が深いということになります。(中略)人生二度とは生きられないのですから、きょう一日の人生が深い、こう言える人生ほど豊かな人生はないはずです。
(本文より)
新装版として堂々復刊!