批評は本当に自由だろうか?
1955年の日本におけるアメリカの文化外交の周辺には、思想的な対立構造、核兵器の恐怖、そして男性性の不安があった…。日本のアメリカ文学研究者が、冷戦期には政治的、文化的囲い込みによって、現代では自国第一主義によって歪められた自由の在り方を、アメリカ文学に関する出版物の内容や形式、書き手たちのさまざまな繋がりを焦点化することで問い直す。
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目次
序 章 アメリカ文学批評の終わりなき論争
第一部 合意形成の綻び
第一章 その広大な紙面にて
—ウィリアム・フォークナーと文化冷戦の言語アリーナ
第二章 対立という繋がり
—ライオネル・トリリングの論敵たち
第三章 脆い人生のすぐそばで
—『エスクァイア』誌のフィッツジェラルドとヒルビリー表象
第二部 核戦争の恐怖
第四章 恒久戦争のなかの人生
—フォークナー、ウェルティ、ライトと核兵器開発競争
第五章 核時代の諸現実
—アレン・ギンズバーグとマイク・ゴールド
第三部 男性性の不安
第六章 中絶ナラティヴと文化冷戦の二択問題
—『野生の情熱』と「太陽の季節」
第七章 問題=物質(マター)となる声
—『映画狂時代』におけるウォーカー・パーシーの意味論的男性性
終 章 カート・ヴォネガットの隣に