"本書は動植物供養と、大漁・航海安全という現世利益の祈願を題材として、生業の視点から仏教民俗を分析するものである。
第一部は「漁業と仏教民俗」として、漁業にかかわる動植物供養と祈願の様相をみていく。第二章の鮭供養の事例では、人工ふ化事業の実施、海面での建網漁の衰退といった時代背景を持ちながら、各地域で鮭に与えられている位置付けと、鮭という魚そのものの特質を反映して供養が行われている様子を描く。第二章では、ハマチ、真珠貝、鰻と三種の養殖漁業に着目し、それぞれの生業が持つ困難さを背景として、供養という儀礼が必要とされていることを明らかにする。第四章では、三重県南部を事例として、一度建立された魚霊供養碑や大漁記念碑が、その後の地域の生業史の展開の中で様々に意味合いを変えていく様相を捉え、記憶の継承という観点から供養碑の持つ意義を考察する。
第五章では青峯山と那智山を対象として、大漁・航海安全祈願の信仰を受ける寺社について、漁業の歴史的展開からみた信仰史の考察を試みる。その中で、従来言及されることの少なかったこうした寺社へ参拝する漁民の広域的な信仰のあり方について検討する。また、遠洋漁業船の船主の信仰に着目することも、本書における新しい試みである。第六章では奥山半僧坊を事例として、活動範囲を広げ、新たな参拝対象を求める漁民の動きと、信仰を広めようとする寺院側の動きが関連しあいながら信仰を広げていった様相をみる。
第二部では、様々な生業から動植物供養の背景と意義を考察していく。第二章では山形県置賜地方を中心とした草木供養をめぐる動きをまとめた上で、造園業に着目し、造園という仕事が求める草木を観察する眼と、その草木観が草木に生命、霊魂を感じさせ、供養を必要とする動機につながっている様子を描く。第三章では動物園・水族館における慰霊に着目する。自然界の生物を人工的な環境で飼育するというジレンマを後景として、どんなに大切に育てた動物であっても死なせたという感覚が残ること、死んだ動物に対する気持ちを来園客とも共有することなどなどの要因から慰霊が行われていることを明らかにする。また、この場合の慰霊とは、政教分離という政治的要因への配慮から採られた形式であって、本質において供養と変わらないことにも言及する。第四章では猟友会の動物供養を取りあげ、かつてより趣味とみられることの多くなった現代の狩猟でも、動物との対峙のなかから供養の動機が生まれていることを明らかにする。
結論として、生業の中で生まれてくる、動植物に個性を認める生命観や、生業の困難さと向き合うなかで目に見えない要素に感じる不安が、動植物供養や大漁・航海安全祈願の背景にあり、供養や祈願を行うことが寺院に求められる力であることを論じる。"