渾身の写真集
ペリリュー・アンガウル戦80周年記念刊行
南洋パラオの玉砕戦を生き抜いた元二等兵は
この地に移り住み、死の直前まで「戦友の御霊」を守り抜いた。
元読売新聞写真記者が語る戦争を背負った男の鎮魂歌
本書「倉田洋二の南洋」より
少年時代から志を抱きはるばると渡った南洋の島を、多くの戦友が眠る南洋の島を、倉田は片時も忘れることはなかった。そして「戦友のそばに居たい、南洋に帰りたい」という思いを抑えきれず、ついに戦友の「墓守」としてパラオへの再移住を決断した。1996(平成8)年、69歳の時だった。
倉田洋二(1927-2019)
昭和2年東京本郷区生まれ。昭和16年、14歳でパラオへ移住。南洋庁水産試験場に勤務していた昭和19年現地召集され、歩兵第59連隊 歩兵砲第1中隊 に配属。陸軍二等兵としてパラオ最南端アンガウル島の守備に着任。南洋の玉砕戦を生き抜いた30数名のひとりで、アメリカ本土の捕虜収容所で終戦を迎え、昭和20年11月28日復員した。
戦後は東京都庁職員となり水産事業に従事。陣頭指揮をとったウミガメの放流事業はアメリカでも高く評価された。小笠原水産センター、同海洋センターの所長を務め、昭和58年定年退職。その後、JICAを通じて3年間、絶滅危機に瀕していたミンドロワニの養殖技術開発を指導するためフィリピンに派遣。平成8年、69歳でパラオへ再び移住。当地で戦士した兵士たちの墓を力の及ぶ限り守り続けた。