西洋の科学的看護論が置き去りにしてしまったいのちの「救い」の看護論
「なぜ、私がガンにかかって死んでいかなければならないのか」という患者の問いに、あなたは答えることができますか。
人間の「いのち」、いのちの「生老病死」にかかわる仕事である看護は「人間存在の理由」「罹病の意味」「苦しみの意味」「生き方」「正しい心の在り方」「癒し」「救い」「死後の生」等の事柄に関する患者からの、そして看護者自身の内からの問いかけを避けることはできない。しかし現在、洪水のごとく看護の現場に移入される西洋の科学的看護論は、このような問いかけに看護の質としての答えを出すことはできない。
元来、日本の伝統的看護は仏教の精神とともに始まり、その精神は病める者、死にゆく者へのいのちの「救い」と「癒し」にあった。看護と仏教は科学的看護論の移入以前から、患者の生老病死に伴う苦痛や苦難に寄り添う看護を提供してきたのである。
わが国に根付く仏教の豊かな教えを看護に活かそうとする仏教看護論は、科学的看護論が答えることのできない「生老病死」に伴う問いかけに向き合いながら、看護される者、看護する者がともに医療・看護の場において人間的成熟を目指す道筋を照らしてくれるただ一つの、そしてわが国独自の「救い」の看護論である。
前著『仏教と看護』の初刊より7年の年月を経て執筆された本書は、継続される実践と考察により体系的発展をしつづける仏教看護論を、看護教育に携わる立場から仏教看護の入門者や看護学生にもわかりやすく講義してくれる。