┃ 目 次 ┃
第1章 ┃ 革命が頓挫したあとの「少女マンガ革命」
マンガという新たな〈教養〉
「少女マンガ」という驚き
モノローグが露[あらわ]にする内面――竹宮惠子「サンルームにて(雪と星と天使と)」(1970年)
内的ヴィジョンの横溢[おういつ]
「少年愛」のために選ばれた表現スタイル
少女マンガ、ヘルマン・ヘッセと出会う
少年たちの世界――『車輪の下』、『デミアン』、『知と愛』
マンガと〈文学〉の軋轢[あつれき]――内面描写を巡って
目標としての「文学」
ヘッセの内面描写――具象的で可変的なイメージ
ヘッセから離れて――「エロティシズム」と「美」
それを「少年愛」と名づけたこと――「少年を愛すること」なのか、それとも「少年が愛すること」なのか
稲垣足穂『少年愛の美学』――少女マンガにおける「少年愛」の起源
からっぽにされた「少年を愛する主体」
「少年が愛する様」を愛すること
第2章 ┃ ヨーロッパ、男性身体、戦後
憧れの土地
三島由紀夫という背中あわせの隣人
ふたつのヨーロッパ経験
肉体の発見――三島由紀夫のヨーロッパ体験(1952年)
男性身体の露出――少女マンガ革命以前
男の体で政治を語る――『血と薔薇』(1968‐69年)
官能のヨーロッパ――異議申し立ての足場として
男の肉体の失墜――1970年、『地獄に堕ちた勇者ども』と三島の死
少女マンガとヨーロッパ
ディテールの追求
空間の厚みを知ること――1972年のヨーロッパ旅行
リアリティと夢想のアマルガム
政治から美へ
第3章 ┃ 〈文学〉の場所で ―― 栗本薫/中島梓の自己形成
「栗本薫」というペンネーム
「ぼく」という一人称――評論と実作の架橋[かきょう]
作者と主人公の一致とズレ――『ぼくらの時代』(1978年)
求められる「私」への抵抗
「エンターテインメント」を味方にして
「私小説」的ミステリ小説――「ぼくらのシリーズ」
理想の「私」をつくるための習作――「今西良シリーズ」
作家としての私
第4章 ┃ 「耽美」という新しい〈教養〉の効能 ―― 雑誌『JUNE』という場
1978年、『Comic JUN』創刊
「耽美」というコンセプト
70年代サブカルチャーの総花としての「耽美」
少女たちへの教育装置としての「耽美」――「ジュスティーヌ・セリエ」作品
80年代、次世代創作者の育成(その1)――「ケーコタンのお絵描き教室」
80年代、次世代創作者の育成(その2)――「中島梓の小説道場」
『JUNE』発「耽美」小説と映画批評――石原郁子の仕事
┃ おわらないおわりに
* * *
1┃ 竹宮惠子 インタヴュー
耽美は溺れるものではなく、するもの
名づけられないもの
ヨーロッパを舞台に選んだ理由
『風と木の詩』のディテールとヨーロッパ経験
援護射撃としての『JUNE』
中島梓との共同作業――「ジュスティーヌ・セリエ」作品
「耽美」は溺れるものではなく、するもの
ゲームではなく――BLとの違い
後進の指導
2┃ 増山法恵 インタヴュー
少女マンガにおける「少年愛」の仕掛け人
「七〇年安保闘争」と「少女マンガ革命」
「感想はマンガで」
編集部との闘い――既成の少女マンガへの挑戦
少年を描くこと
質をあげるために――1972年のヨーロッパ旅行
1976年、『風と木の詩』
黒子に徹する――「変奏曲シリーズ」における共同作業
『JUNE』について
「少女革命」が成し遂げたもの
3┃ 佐川俊彦 インタヴュー
文学と娯楽の間を行ったり、来たり
「二四年組」が発端
「耽美」というキーワード
「心の不良」である『JUNE』の読者
新しいジャンル、新しい表現の立ち上げ
バトンタッチできるものとできないもの
作品・文献索引 / 人名索引