発刊に寄せて ──釈 徹宗
はじめに ・・・仏壇もありお坊さんもいるグループホームです
【第1章】認知症とは実際にどんな症状なのか
ケース1 周囲に「問題行動」に見えても本人に必要性も必然性もあります
ケース2 認知症になると嫌なことも全部忘れて楽になるわけではない
ケース3 なんでもかんでも認知症だからの一言で片付けてしまう問題
ケース4 ケアはスタッフだけでなく家族との会話も大きな助けになる
ケース5 「地面を踏めない人間の気持ち、分かるか」という入居者の声に
ケース6 薬を飲みたくないという入居者の本当の思いをいかに知るか
ケース7 介護現場の応病与薬はトライアル・アンド・エラーの積み重ね
ケース8 認知症になっても社会に所属したいという欲求は残るものです
ケース9 アルコール性認知症の入居者が菜園に通い始めて癒された事実
ケース10 介助のなかでも特に比重が大きい排泄について実感したこと
【第2章】思い込みを捨てた向き合い方
ケース11 相手の取り違えを否定するか肯定するか、どうすればいいか
ケース12 お互いのあいだにあるギャップを共有することの意義を知る
ケース13 認知症の方のお世話を始めた頃はなぜか怖かったけれども…
ケース14 認知症患者と介助者役の即興劇で分かった介助者の思い込み
ケース15 徘徊と認知症と決めつけると本人の個別性を見失うことがある
ケース16 入居者の困った行動を吟味すると介護側の都合だったりする
ケース17 排尿を自室のゴミ箱にしつづける入居者を受け入れるべきか
ケース18 全く許容できない行動に介護する者はいかに向き合うべきか
ケース19 彼らの苦痛の一つは非難されるのではないかという恐れです
【第3章】ケアすることでケアされる学び
ケース20 認知症の人でも喜びの表現や笑いはみんなと共有できます
ケース21 認知症の無邪気な自由さは俗世間の縛りを超えて尊くもある
ケース22 やってあげることもやってもらうことにもこだわらない介護
ケース23 ケアすることで介護者もケアされる気持ちになるのはなぜか
ケース24 ケアすることでケアされるという本当の意味と実践を問う
ケース25 ケアする側とケアされる側との同一化に巻き込まれるリスク
【第4章】介護者に都合のよい方法などない
ケース26 ケアには専門家だけでなく通りすがりの人も助けになる事実
ケース27 施設に入居する人と人との関係を知ることで分かるケア
ケース28 介護者に都合のよい方法なんてないのが分かるパッチングケア
ケース29 認知症介護の上手な人に学ぶモード・チェンジの仕方とは
ケース30 落ち込む入居者の気分も一瞬の冗談と笑いで心を更新できます
ケース31 お釈迦様の教えが認知症介護のお手本だと分かります
ケース32 ケアする人の責任や負担を上手に順送りできるようにしよう
ケース33 介護から切り離せない排泄介助「うんこの壁」を仏教に学ぶ
【第5章】認知症を持つ人が求める本当の幸せ
ケース34 介護の常識に逆行したバリアばかりな生活の場にこそあるもの
ケース35 仏壇と仏間があることで入居者たちに起きた思わぬ効果
ケース36 テレビに向かい手を合わせるタガミさん。なぜでしょうか
ケース37 認知症を持つ方も本堂に入ると思わず手を合わせるのです
ケース38 歌ったり合誦することで認知症でも生きる喜びが取り戻せる
ケース39 入居者も頼れるお寺の人的ネットワークという資源
ケース40 認知症の方の問題行動の理由が分かるには長い時間がかかる
ケース41 寺院も僧侶も檀信徒も一体となって地域のサポーターになる
【第6章】「家に帰る」という命の終わり方
ケース42 認知症になられても命の終え方には人それぞれの人生がある
ケース43 認知症の方々とともにむつみ庵で行った入居者の通夜と葬儀
ケース44 「家に帰る」という思いはわが子の名を忘れても失われません
ケース45 看取った入居者の人生を介護者たちが語り合うことの大切さ
あとがきとして