弘安四年、夏。
博多湾に、14万の艨艟(もうどう)が押し寄せた。
日本史上最大の存亡危機──元寇。
そのとき、石築地(防塁)の外、波打ち際にあえて陣を張った、一人の若き武士がいた。
伊予の没落御家人・河野六郎通有。
かつて源頼朝に「源、北条に次ぐ」と称された名門は、いまや一族骨肉の争いに明け暮れ、見る影もない。
当主の座をめぐり伯父と争い、再興への道はあまりに遠かった。
そんな六郎が、奴隷市で買い受けた二人がいる。
西域から流れてきた少女・令那。
高麗から連れてこられた青年・繁。
言葉も、信じる神も、肌の色さえ違う三人は、
伊予の家で奇妙にひとつの「家」を築いていく。
笑い、ぶつかり、ともに祭りの夜を踊る。
血の繋がらぬ三人が交わすささやかな日々が、確かにそこにあった。
血を分けた一族とは争い、血のつながらぬ者と心を通わす。
──人はなぜ、近しいほどに憎みあい、遠い相手とは手を取れるのか。
そう問い続けたのは、踊念仏の一遍上人。六郎の従兄弟にあたる男である。
やがて、海の彼方から異形の艦隊がやって来る。
河野家は寡兵で、博多湾の砂浜に陣を据えた。
身を守るべき石築地を背にした、その「外」に。
退路を断つかのごとき、奇妙な構え。
後世に「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ、
史実に名を残すこの一手は、いったい何のためだったのか──。
神風が吹く、その前に、六郎は、何を守ろうとしたのか。
家か。国か。それとも、肌の色も違う、共に生きる者たちの命か。
「人と人は、なぜ争うのか」
それは700年前の問いでありながら、今この時代を生きる私たちに、まっすぐ突き刺さる問いでもある。
直木賞作家・今村翔吾が、『塞王の楯』『イクサガミ』に続いて挑んだ歴史長編。
「別冊文藝春秋」で足かけ四年にわたり連載され、
著者がこれまで追い続けてきたテーマの核に通じる一作と位置づけた渾身の物語が、ついに文庫化。
700年前の博多湾で、一人の武士が出した答えを、いま、あなたに。