【本書の特徴】
本書は,わたしたち人間とは「別の世界の住人」である昆虫の知能をひもとき,人間やAIが前提としてきた枠組みを超え,自然が長い時間をかけて磨き上げてきた知の体系を,新しい価値創造へと結びつける「昆虫工学」という新しい体系を提案・紹介するものです。
昆虫の世界は,私たちが「当たり前」と思っている世界とは大きく異なります。視覚・聴覚・嗅覚といった感覚の仕組み,時間のとらえ方,さらには体の大きさに基づく力学的制約まで,昆虫はまったく異なる条件のもとで環境を認識し,行動しています。
近年,人工知能(AI)は大量のデータから新たな価値を生み出す技術として発展してきました。しかしその多くは,人間や人工センサによって取得された「人為的に設計された観測系」に依存しています。したがって,人間の感覚や発想の枠組みの外側にある昆虫の世界は,依然として十分に扱われているとは言えないのです。
昆虫の知能は,数億年にわたる進化の中で環境と相互作用しながら洗練されてきた,もう一つの知の体系です。それを理解し,工学や農学へ応用することは,人間やAIの枠組みを拡張し,新しい発想や設計原理を生み出す契機となります。
本書では,昆虫の知能を支える感覚・脳・行動のしくみを基礎から解説するとともに,それらを応用した技術や研究の最前線を紹介します。
例えば,匂いのセンシングにおいては,昆虫のたんぱく質を利用した超高感度センサや,触角を用いた匂い源探索ロボットの開発が進められています。また,振動感覚を利用した害虫防除といった農学的応用から,羽ばたきロボットや群知能ロボット,ナビゲーションロボットの開発に至る研究も展開されています。さらに,昆虫を遠隔操作する「昆虫サイボーグ」は,その飛行や歩行機能を直接活用することで,被災地における要救護者探索への応用が期待されています。
こうした流れは,昆虫の脳機能を神経細胞レベルから再構築する全脳シミュレーション研究へとつながり,我が国のスーパーコンピュータ「富岳」を用いた取り組みなど,これまでの生物模倣をはるかに超えた新たな研究領域へと発展しています。
読者は本書「昆虫工学」を通じて,「世界の見え方」そのものが変わる体験とともに,新しい価値創造の可能性と新たな学問的視座に触れることになるでしょう。それは,これまでとは異なる世界を起点とした思考への第一歩となるはずです。
【主要目次】
第1部 基礎編
1.行動/2.中枢処理/3.昆虫のセンサ(感覚器)の構造と機能
第2部 応用編
4.昆虫機能の工学応用/5.昆虫のセンサに関わる工学応用/6.昆虫の中枢処理に関わる工学応用/7.昆虫の行動に関わる工学応用
【本書のキーワード】
昆虫,環(境)世界,生物知能,群知能,進化,感覚,脳,行動,微小脳,センサ,ロボット,ハイブリッド,サイボーグ,ナビゲーション,羽ばたき飛行,歩行,フェロモン,化学感覚,大規模シミュレーション,遺伝子工学,遺伝子改変,ゲノム編集