2016年(平成28)10月22日、俳優・平幹二朗さんが突然、人生の幕を下ろしました。82歳でした。あれから10年の歳月が流れました。
平さんが62歳の時から亡くなられるまでの20年間、私は平さんと共に舞台を創り続けてきました。平さんの厳しい言葉に立ちすくんだこともあれば、何気ないひと言に救われたこともあります。舞台に立つことに一切の妥協を許さず、その一回一回にすべてを懸ける平さんの姿を間近で見ながら、私は演劇を創ることの厳しさと喜びを教えていただきました。(中略)
映画やテレビは、作品として映像が残ります。しかし、舞台は上演が終わった瞬間に消えてしまい、人々の心の中だけに生き続ける芸術です。その舞台を記憶する人がいなくなれば、やがて何も残らなくなってしまいます。
「消えてしまうのが舞台のいいところなんだよ」
平さんは、そう語っていました。
けれども、その平さんご自身までこの世からいなくなってしまったことを、私はあまりにも寂しく、虚しく感じていました。
一方で、平さんから繰り返し言われていた言葉があります。
「済んだことはもういいから、次のことをきちんとやりなさい」
その言葉を胸に、私は20年間、前だけを向いて仕事を続けてきました。けれども、平さんが亡くなられてからは、前へ進むことも、振り返ることもできず、立ち止まったままの日々を過ごしていたように思います。
そんな中、コロナ禍で演劇界の時間も止まっていた頃、私は恐る恐る、平さんの映像を観返しました。画面の中に現れた平さんの声を聴き、その姿を見た瞬間、共に舞台を創った日々が一気に甦りました。そして、胸の奥底から強く込み上げてきた思いがありました。
——この名優が、このまま忘れ去られていいのだろうか。(中略)
平さんのそばで20年間、共に舞台を創ってきた私だからこそ、伝えられることがあるのではないか。その時、私はようやく、自分の果たすべき役割に気づきました。平さんの映像や声と真っ直ぐに向き合い、その舞台と生き方を未来へ残すために本を作ろうと決心したのです。(中略)
稽古場で交わした言葉、舞台袖でのまなざし、芝居が終わったあとの静けさ、客席からの拍手に包まれた時間。その一つひとつが、今も鮮やかに甦ります。
本書では、平さんと特にご縁の深かった方々にご登場いただき、それぞれの立場から平さんとの出会いや舞台の想い出を語っていただきました。そこには、私自身も知らなかった平さんの姿が数多く描かれています。
これから演劇の世界を志す人々に。
そして、舞台を愛するすべての方々に。
平幹二朗という俳優が、どのように舞台と向き合い、一回一回の舞台に命を懸けて生きたのか。本書を通して、平さんが舞台に懸けた歳月と、その舞台を共に創り、支えた人々の姿に触れていただければ幸いです。
(本書「はじめに」より)