縄文時代に建てられたという、三内丸山遺跡の通称「縄文タワー」。縄文人は人力だけでどうやってこの15メートルの塔を建てたのか?技術者である著者が精緻にそのプロセスを解説する。また、塔の目的は「狼煙台」であり、宗教上の施設ではなく、ヒスイの交易のために建てられた塔だと説く。
さらに、近世まで奈良に「奈良湖」があったことを突き止め、奈良湖と大阪湾に通じる水路である「河内・大和大運河」など、重要な交通手段である水上交通に着目し古代日本の実像に迫る。
「古代人は治水を考えなかった」という専門家ならではの仮説も提唱。
●秀でていた丹後と出雲のハイテク技術
●造船には高度の木工技術が必要であった
●六世紀、大和川では帆船が走っていた
●技術者集団としての渡来商人の実像
●岡山・津寺遺跡の築港技術が19世紀オランダの技術に酷似
●出雲大社はもともと「水飲み場」だった
●難波津港ができるような地盤ではない