南北に長いイタリアは多様性に富むことで知られ、古今の旅人を惹きつけてきた。海峡を越え大陸を横断し、やっとの思いでアルプスを越えた北の人びとにとって、霧に包まれる湖水地方に降りていくのか、あるいは陽光がきらめくアドリア海沿岸に向かうのかによって、「イタリア」という語の響きかたはずいぶん違うものになったにちがいない。長靴にたとえられるこの地理的広がりのうちには、輝かしきコムーネの血脈がいまなお通う中世都市、皇帝の封土を起源とする華麗な公国の気配が残る地方、ヨーロッパの強国がぶつかりあう戦場の過去をもつ土地が、豊かな平原や石灰岩質の過酷な台地とともに在り、それぞれの歴史が自然と手を携えて独自の相貌と文化的風土を形づくってきた。地中海に突きでる半島と大小の島からなるこの地が、旅の目的地になったのは古代ローマ以来であろうか、巡礼者が聖都を目指した中世であろうか、あるいは、複数の「古代」が再発見されていく初期近代であろうか。
プラーツの言葉によって編まれたイタリア巡りの道程は、北方の精神と響きあう高山と深い渓谷の織りなす絶景から始まる。丘陵の連なる美しい風景を整然とした輪郭で切りとる白い立方体と、ゴシック式聖堂の裏で裸足の子供が駆けまわり石工が黙々と作業する埃っぽい空き地。ヘルクラネウムの踊り子やケンタウロスの洗練された造形と、溶岩が冷えてできた輪郭の曖昧な異形の塊。近代の幕があがろうとしていた時代にイタリアの北から南へ旅した人びとが心を震わせたのは、秩序立った表面と猥雑な裏面との、再解釈された古代と現代によみがえった古代とのコントラストであったのかもしれない。こうした光と闇に目を凝らし、倦むことなく書き続けたプラーツとともに、われわれもまたイタリアへと旅立とうではないか。言葉のエリュシオンのなかに咲く薔薇色のユートピアを求めて。