関ヶ原の戦いの功により、加藤嘉明が20万石で立藩。嘉明が会津に転封後、出羽上山から蒲生忠知が24万石で入封するが、病没。嫡子がなかったため蒲生家は断絶する。一時大洲藩などの預かり時期を経て、1635年に桑名藩から松平定行が15万石で入封し、久松松平家による支配が明治維新まで続いた。気候は温暖で海産物等にも恵まれた土地だが、飢饉・干ばつなどで財政は悪化。落雷による城の修復費もかかり、財政難が続いた。
幕末は「長州征伐」に出陣するが反撃を受け敗北、大打撃を受ける。鳥羽・伏見の戦いで幕府軍に参加したため朝敵とされ、一時土佐藩に松山城を占領されるなど多くの苦難を味わった。
現在の愛媛県松山市にあった藩の物語。