激動の1968年。石原慎太郎、黒川紀章、岡本太郎、黒澤明、安部公房など時代の先端を行く文化人や加賀まりこ,かまやつひろしら六本木野獣会を自称する芸能人達が集った東京飯倉の伝説のイタリアンレストラン、キャンティ。そこに一見場違いな二人が居た。5年前に東京會舘前で自身に銃弾を浴びせた暴力団員ににじり寄って行った右翼の大物田中清玄と、岡田真澄にキャンティに連れて来られた、文化学院卒業直後のまだ何者でもない若き詩人、天童大人である。昭和という時代の巨大なエネルギーが渦巻くその空間で、修羅場を潜り抜けてきた老巨頭と、無限の可能性を秘めた若き表現者の魂が奇跡的に交錯した。この邂逅こそが、天童大人の詩人としての運命を決定づける火花となったのである。(天童は2年後、運命に導かれて自決二週間前の三島由紀夫にも会っている)その後50年近く朗唱詩人として世界で聲を撃ってきた天童大人が、60年安保全学連幹部、篠原浩一郎に触発されて綴る長編詩。
それにしても不思議なのは、既に確固たる地位を獲得していた田中清玄が、なぜ未だ何者でもなかった若き天童大人に飯倉のイタリアンレストランの常連専用の2階のスペースで自らを語ったのか。その前に、そもそも、当時気鋭の俳優であった、岡田真澄はなぜ初対面だった天童を自分達の溜まり場であったキャンティに連れていって、田中に引き合わせたのか。それは天童の眼力とその腹の底から響くような聲でないかと彼を知る人は口を揃える。天童は2006年以降20年に亘って、Projet La Voix des Poètes(詩人たちの聲プロジェクト)と称する、現代詩の朗唱会を都内各地で主宰していて、その回数は延べ2400回を超えている。白石かずこ、天沢退二郎、高橋睦郎、田川紀久雄、平林敏彦、禿慶子らの大ベテラン、伊藤比呂美、乙益由美子、稲葉真弓、坂井のぶこ、神泉薫、末富晶・中沢けい・長谷川忍、水崎野里子、友理らの実力派、更には、かとう治郎丸のような学生詩人までもが、天童大人の聲の磁力に引き寄せられて参集し、自作詩を一時間に亘って肉声で朗唱している。若き天童大人の眼力は、本書の表紙でご覧頂ける。そしてその聲は、82歳を迎えた今も精力的に続く「Projet La Voix des Poètes」の場で、マイクを通さない生の肉声として聴くことができる。
奇しくも今、私たちはオイルショックのとばぐちに立っているようにも見える。最初のそれは1973年に起きている。それに対応したのは田中角栄であることは誰もが知っている。しかし、影でそれを支えたのは、角栄が本物の国士と認めた田中清玄であることを知る人は少ない。若き天童大人は田中清玄が日本を救う数年前に、彼と会っているのだ。今回の危機が更に深刻化するなら、私たちは田中清玄の不在を嘆くことになるかもしれない。