第一章では、行としての日常的行為が宗教だけでなく、(法)哲学においても確保されるべき重要な意味をもつことを示した。また、近代によって生み出されたアトム的な主体の根底に、自省的契機を組み込んで他者を呼び入れる可能性を開き、寄物の集う場としての主体の立ち上げを試みた。第二章では、自己を現実化していく場であるがゆえに、家庭が永遠性を含む常行の場の一つとして有力であることを論じている。第三章では、生命レヴェルと社会レヴェルの往還を考え、この働きの中に寄物の観点を加えた自己限定の構造を見出す。さらに自己限定で発生する負荷を外部化していくことで、それに耐えることができない心性を生み出したことも見る。第四章では、そのような心性の影響や無意識が継続的創造を要する理念にとって大きな問題となることを説く。また、継続的創造が他者と結び付いていることを踏まえつつ、理念における自己限定の観点を提示する。第五章では、時間の審級的意味について論じた。そこでは、産出されるものによる産出、個体を超えたものの個体化、時間を超えたものの現在化などの矛盾の諸相において、われわれというものが成立していることが確認される。それは進行形という観点と結び付くものである。この進行形に時間の審級的意味を見出す。第六章では、生命や祖先について注目し、「種」というものを抜きにしてわれわれの存在を理解することができないこと、それゆえ「類」の構想にもこの観点が深くかかわるという見方を示した。第七章では、法的理念としてのノモスに注目して、凡夫性が法や法学の根拠であることを論じている。(本書「序」より)