若き騎士トリストラントと王妃イザルデは,媚薬によって結ばれ,悲劇的な結末へと向かう。ワーグナーにより19世紀に恋愛物語の金字塔として結実した,いわゆる「トリスタン物語」は,中世には広く伝播していたが,果たしてその原型とは,どのような形であったのだろう。
12世紀半ばに成立した「原トリスタン」から,時をあけずに創作された四作品のうち,最古のドイツ語テクストで,唯一,完本として伝わるのが本書,アイルハルトによる作品(1190頃)である。ワーグナー楽劇が参照したゴットフリートの作品(1200–10頃)が,恋愛論や文学論,神学・哲学的考察へと物語から離れていくのに対し,アイルハルトは恋人たちの運命を追い,物語を生き生きと展開させる。勇猛な戦士として描かれるトリストラント,丁々発止で交わされる会話など,そこには恋愛ものというイメージだけでは捉えきれない,躍動的で娯楽性に富んだ西洋中世の物語世界が広がっている。
作品成立をめぐり,アイルハルトのパトロンと想定されるヴェルフェン家ハインリヒ獅子公との関係など,いまだ謎は多い。解説では,中世における芸術支援,宗教的・倫理的規範と葛藤,結婚制度の発達と作品の密接な関係など歴史的背景を詳述するとともに,ゴットフリートの思想的革新性についても考察する。
原文は,声に出して語り,聴くことを意識したと考えられる韻文である。この語り口とスピード感を日本語のリズムに移し変え,18世紀に至るまで人気を独占した作品の魅力を届ける。その文体に誘われ,今,朗読劇の幕が上がる。