文化権力とは何か
  • 発売日:2026/09/11
  • 出版社:文学通信
  • ISBN:9784867661314

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文化権力とは何か

文化権力とは何か

通常価格 5,280 円(税込)
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商品説明
権力にも、文化にも、さまざまなあり方がある──

本書は、権力と文化が織りなす磁場に形成・生成される動態、すなわち文化権力をテーマにした論文集である。

権力とは思われていないが、実際はどこかで権力として作動しているものがあったり、あるいは無自覚に行われている支配と非支配との関係性など。人々が同じ歴史と文化を語るにしても、その語り方は一つではない。語りがしばしば特定の権力や価値観と結びつきながら形成されることもある。

固定された歴史と文化の意味を問うのではなく、時代によって変わりゆくそれらを、その磁場に形成・生成される動態を、問う。

テーマ収録されるテーマは、帝国日本の文化装置として再構築された「能楽」、父母から跡見家の再興を託された跡見花蹊、近代の短歌─「優美」な女性を構築しようとした和歌から、「新派」の表現を拓いた明治末期の女性たち、戦時体制下のラジオドラマの脚本、「時局物」の浄瑠璃の詞章、忘れられた児童文学者・高尾亮雄(楓蔭)、植民地の博物館で語られる歴史と文化、植民地朝鮮での音楽を「記す」という行為、公爵島津家の当主が慶長の役で島津軍が軍功をあげた泗川の戦いの舞台である泗川新城跡を購入した顛末など、多数。

執筆は、徐 禎完、榊原千鶴、松澤俊二、濱下知里、奥田粋ノ介、遠藤 純、朴 貞蘭、金 志善、鈴木 彰。


【本論集では、文化と権力が交錯するところに生み出されるさまざまな関係性を読み解く試みがなされている。それぞれの論文の結論もまた、よくみれば必ず何らかの「文化権力」の磁場にからめとられている。そうしたことに自覚的になってみると、これからなすべき課題は多く残されていることにおのずと気づかされることになる。本論集が、これからの人文学的課題と向き合う際にいかなる意義をもつのか。それぞれの立場、視点から批判的にお読みいただければ幸いである。】‥‥‥‥「はじめに」より
目次
はじめに 刊行にあたって
●徐 禎完・鈴木 彰

一、「文化権力」という視座から
二、本書の構成と各論文の概要


序説1 
〔座談会〕文化権力と向き合う
出席者:徐 禎完・榊原千鶴・松澤俊二・金 志善・鈴木 彰(進行係)

・はじめに
・世阿弥からはじまった「文化権力」
・能の歴史と文化と権力
・「文化権力」という名前の権力があるわけではない
・文化と権力の基本的な構図
・文化的な問題として和歌・短歌を考えると
・「権力」の思惑を逆手に取った女性、跡見花蹊
・音楽を「記す」ことから文化と権力の問題を考える
・過去の出来事をいい・悪いで断罪するということ
・研究をなぜやるのか、何のために自分がやるのか
・近代がつくってきた学知の在り方と文化権力
・研究はすべて人類の未来のために
・文化権力にあるさまざまな動態
・日常にある権力のイメージと断罪しないということ
・浪花節を朝鮮語で歌うレコード


序説2

近代の能と文化権力
─歴史のなかの能と能楽史
●徐 禎完

はじめに─歴史のなかの能と能楽史
一、近代国民国家と能
二、境界を創る文化装置
三、近代の到来と秩序の再編─著作権認定問題
四、文化統制と文化権力
五、「不敬」と「忠」の統制
六、 敗戦、「文化国家」と「幽玄」への再帰
七、権力と文化の接合の解除と再接合─むすびにかえて



第1部 芸術・文学・芸能と文化権力

1 跡見花蹊にみる文化権力としての画業
●榊原千鶴

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…「権力」がテーマとされるとき、それは男性のこととして語られることがほとんどです。けれど「国民」の半分を占める女性が、政治と無関係のはずがありません。前著所収論文では、歴史上、男性のものとされてきた公的・政治的役割の一端を担った皇后とその教育的営為を考えました。とはいえ皇后は「権力」に近く、統治側に立ち得る存在です。そこで今回は、「書画」という「美術の力」をもって幕末から明治という変革期を生き抜いた女性を取り上げることにしました。公家文化を滋養し、腕を磨く機会に恵まれた彼女は、人脈と画力を活かして新たな時代と体制(権力)に順応、貢献していきます。隣国への献上品、国賓接待、万国博覧会への出展。偉大な文化的伝統を有し、近代国家にふさわしい国家であると主張する外交戦略の一翼を担いました。本章では、「権力」の思惑を逆手に取ることで「近代」と対峙し、生きる方途を見出した女性について見ていくことにします。】

はじめに
一、修業と席画
二、姉小路公知による支援
三、朔平門外の変と跡見家の献身
四、「国家の顔」としての画業
五、協働する女性たち
六、跡見女学校の戦略
おわりに

2 彼女たちの「和歌革新」
─〈優美〉なる和歌を越える試み
●松澤俊二

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…三十一音の「文学」作品で、自己表現の具─近代の短歌をこのように説明することは可能です。けれども本当にそれだけだったか。人々が実際に見ていた歌の多様な姿や役割について、もっと理解したい気がします。たとえば歌は政治や社会運動と結びつくかたちでも作られてきました(天皇「御製」やプロレタリア短歌など)。戦時下に愛国心を高めるため詠まれた歌もあります。歌が人々の心をどのようにまとめあげたのか。また熱狂や悲嘆の渦へと巻き込んだのか。「文化権力」という視点は、そうした歌の力を考えるときに有効かもしれません。本章では、より隠微なかたちで人々の生活に入り込み、その感性や生き方まで規定しようとした例を取り上げます。具体的には、しつけや学校教育と連動しながら「優美」な女性を構築しようとした和歌の在りようをたどり、あわせて、それに抗うかのように「新派」和歌の表現を拓いた明治末期の女性たちの試みについて論じます。】

はじめに
一、「実学」としての和歌─近世から開化期まで
二、学校で教えられる和歌─明治二十年代─三十年代
三、〈優美〉なる和歌の効用─良妻賢母の育成
四、山村龍子の「新派」和歌─明治四十年代
おわりに─彼女たちの和歌革新

3 ラジオ賞からみる戦時体制下ラジオドラマの「指導性」と「芸術性」
─森本薫「生まれた土地」と華山三重子「天翔ける夢」を手がかりに
●濱下知里

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…私は、文化のなかには常に権力が内在していると考えています。特に、戦時体制下のラジオというメディアにおいて、権力は、逓信省や情報局による検閲・統制といった形で現れているといえるでしょう。本章では、戦時体制下ラジオドラマが、情報局などから求められた国民を「指導」する役割と、「芸術」ジャンルとしてのありかたの間で揺れ動いていたことを明らかにしました。その「芸術性」は、「指導性」と対立するのではなく、相互補完的に見出されるものであったと考えられます。こういった「芸術性」のありようは、「芸術」の危うさを示すものといえるでしょう。ラジオ賞はラジオドラマを対象としたものですが、ここから浮かび上がる問題は、ラジオのみならず、さまざまな文化のなかに指摘できるもののはずです。今後も、一方的に統制されるだけではない文化の姿を写し取るものとして、ラジオドラマへの着目を続けていきたいです。】

一、戦時体制下のラジオドラマ─問題の所在
二、ラジオ賞の概要─「国民演芸」を求めて
三、森本薫「生まれた土地」
四、華山三重子「天翔ける夢」
五、ラジオドラマの「指導性」と「芸術性」

4 昭和十年代時局物浄瑠璃における国策の受容と表現方法
─「戦陣訓」と「水漬く屍」から読み解く権力との距離
●奥田粋ノ介

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…本章では、可視化された権力の形として軍を、文化の一つとして浄瑠璃を分析対象としました。近代の浄瑠璃は古典化への過渡期にあり、存亡を懸けた試行錯誤の中にありました。その渦中で権力が介入し、多くの新作が生まれた事実は、権力から文化への支配や、文化の権力への加担といった二元的構造を超え、両者の目論見が重なり合う側面があったことを示唆しています。そこで、陸軍主導の規範的な「戦陣訓」と、海軍主導で情緒的な物語性を備えた「水漬く屍」という対照的な二作を事例に、軍の宣伝戦略と詞章の結びつきを分析し、軍の目論見を利用しつつ存続を図った、浄瑠璃側の生存戦略としての実態に迫りました。今回の考察を通じ、女性史の視点や他メディアとの横断的比較、陸海軍の性質の差異など、多くの課題が明らかになりました。今後はこれらの点から、支配構造に還元されない権力と芸能の関係を究明したいと考えています。】

はじめに
一、時局物の研究状況と本章の目的
二、浄瑠璃「戦陣訓」について
三、「水漬く屍」について
おわりに


第2部 子ども・教育・植民地をめぐる文化と権力

5 高尾亮雄(楓蔭)・児童文化活動への道程
─初期社会主義活動の検討を通して
●遠藤 純

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…今回、筆者が取り上げたテーマは、忘れられた児童文学者・高尾亮雄(楓蔭)についてです。高尾は明治末年から昭和にかけて、関西における児童文化活動に大きな足跡を残しました。しかし、その生涯は今なお不明な点が多く、謎に包まれています。高尾の調査を続けるなか、関係資料が乏しい理由の一つに、大逆事件が関係しているのではないかと考えるようになりました。体制側による弾圧、そして文化への締め付けが、子どもの文化や文学の領域にも重くのしかかっていたのではないか。自主規制も含め、この事件が作家・画家や関係者たちに与えた影響については、日本の児童文学研究ではこれまであまり論じられてこなかったように思います。今後、文化と権力について児童文学の側から考えたいと思いますが、まずはその前段階として、高尾の生涯を立体的に描き出すため、今後も丹念に資料を探し続け、読み続けたいと思います。本章は、その足がかりの一つです。】

はじめに
一、高尾亮雄の業績と先行研究の整理・検討
二、社会主義活動期における言説の検討─『評論之評論』の高尾関連記事
三、原点としての初期社会主義とヒューマニズム
おわりに

6 教材「博物館」は何を教えたのか
─植民地朝鮮における歴史・文化認識の視覚化と内面化の構造
●朴 貞蘭

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…博物館で語られる歴史と文化は、果たして中立的で客観的なものなのか─そうした疑問を抱いたことがきっかけで、私は博物館における公共史の実践に関心を持つようになりました。戦後八十年にあたる二〇二五年八月、約二週間にわたり、日韓の大学生とともにソウルの博物館や記念館を巡りましたが、その中で特に印象に残った場所が「尹東柱文学館」(ソウル特別市鐘路区)です。かつて教科書では、日本帝国に抵抗した「民族詩人」として学んだ尹東柱が、文学館では一人の青年として、その内面的葛藤や生の軌跡に焦点を当てて語られていました。自己を模索し続けたその詩は、同世代の大学生たちの心にも強く響いていました。同じ歴史と文化であっても、その語り方は一つではありません。また、その語りはしばしば特定の権力や価値観と結びつきながら形成されるものでもあります。歴史と文化の意味は決して固定されたものではなく、私たちの視点によって多様に捉え直されるものです。本章が、日々触れている歴史と文化の語りについて、改めて考える契機となれば幸いです。】

はじめに
一、植民地朝鮮における教育課程と朝鮮語科教科書の特徴
二、朝鮮語科教科書教材「博物館」の分析
おわりに

7 五線譜の政治と文化権力
─植民地朝鮮における音楽記録の諸相
●金 志善

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…私は、文化と権力の問題を、音楽を「記す」という行為から考えています。楽譜は音を残すための道具ですが、同時に、どの音楽を残し、どの音楽を残さないのかを選び取る働きを持っています。その選択は何が価値ある音楽とみなされるのか、という判断と結びついており、決して中立ではありません。植民地期朝鮮では、五線譜による記録や音楽教育が広がるなかで、音楽は視覚的に把握できるかたちへと整えられていきました。しかしその一方で、口承や即興、身体に根ざした音楽は記述しにくいものとして扱われ、周縁へと追いやられました。ここには、記録という行為が文化のあり方そのものを形づくる力として働いている姿が見えてきます。本章では、音楽教育や採譜といった具体的な実践に目を向けながら、「何が記され、何が記されなかったのか」をたどります。そして、記すことが文化を整理し、価値づけ、時に支配する働きを持つ一方で、人びとが自らの文化を捉え直そうとする営みでもあったことを考えます。】

はじめに─音楽の記録と記譜をめぐる文化権力の問題圏
一、五線譜を基盤とする音楽教育の制度化と日本的音楽観の移植
二、記譜を通じた朝鮮音楽の再編─伝統から植民地近代へ
三、植民地の音を記す─日本人による朝鮮音楽採譜と知の編成
おわりに─記録化される音楽、制度化の影と継承の政治性

8 泗川の戦いと島津家の近代
─大正七年、泗川新城趾での建碑に至るまで
●鈴木 彰

【なぜ文化権力/文化と権力というテーマに向き合うのか…私は日本の中世文学、とくにいくさに関わる軍記物語や説話、またそれを視覚的な表現へと移し換えた物語絵の研究などに取り組んでいます。資料探究のために、日本国内はもとより、韓国の各地に出かけることもしばしばあります。物語の研究は、それを作った人(いわゆる作者・編者)や作られた当初の作品形態について検討するだけではありません。享受者や享受環境の実態、つくりかえられた異本の様相、作品間・ジャンル間・メディア間の影響関係、日本国内や世界各地への流布の状況、本文解釈の時代的な変遷、のちの世の日常への影響や作用などなど、多方面からの分析に取り組んでいます。こうした営みのなかで見えてくるのは、突き詰めれば、人と人、心と心、ことばとことば、知と知がせめぎあう関係性です。そして、そこには必ず、文化を支える権力構造が生み出されていて、作用しています。文化権力という視座は、ある文化的産物を生み出し、それを受け継いできた人間の営みと向き合おうとするとき、だれもが無視することができなくなるものだと考えています。】

はじめに
一、袖ヶ崎邸への行幸啓
二、行幸啓の一側面─家宝の展覧と藩政期からの連続性
三、「島津家式祭」について─三公銅像・薩英戦争記念碑の建立、島津忠良贈位など
四、泗川の戦いへのまなざし
五、公爵島津家による泗川新城趾の購入と建碑
おわりに 附、「唐兵供養塔」の発見のことなど

泗川の由縁/사천 이야기─あとがきにかえて●鈴木 彰

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