戦前の段階で止まっていた研究の停滞を打破。
新史料で次々と明らかになる新事実!
旅順要塞、二〇三高地、奉天会戦……ウクライナ戦争から118年前。ロシア軍と果敢に戦い勝利した“軍神”がいた。膨大な量の史料が、名将と愚将の間で評価の分かれる“軍神”の通説を覆し、その実像を浮かび上がらせる。日露戦争戦史・乃木研究の第一人者が、新史料を含む日記・書簡・意見書といった一次史料を網羅的に使用・分析し描いた、初の実証的な乃木希典伝。
軍人としての評価が、名将から愚将、そして再び名将へと、乃木ほど大きな振幅を見せた軍人は日本近代軍事史上、稀である。今日では名将としての評価が揺るがないようであるが、乃木はほかの陸軍軍人と比べ、どのような点で卓越していたのだろうか? また、乃木は軍歴の大半を部隊指揮官として終始し、軍司令官・師団長・旅団長・聯隊長の各レヴェルで実戦を経験した軍人である。では、どのレヴェルでも、また平時・戦時の双方で成功を収めたのだろうか?本書は、野戦軍司令官、教育者、忠臣、台湾総督など複数の顔を持つ乃木の生涯を、膨大な量の新史料を駆使して、通説を修正しつつ、これまで軽視されがちであった政治史的側面にも注意しながら、戦史・軍事学的視点を中心に、描き切る。
乃木希典(1849―1912)
陸軍大将。嘉永2年(1849)11月11日、長府藩士乃木希次の三男として江戸藩邸に生まれる。吉田松陰の師で松下村塾創始者・玉木文之進に学んだ後、第二次幕長戦争では報国隊に属し北九州を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け、明治4年(1871)陸軍少佐となる。 西南戦争に歩兵第十四聯隊長として従軍し、薩軍に軍旗を奪われる。日清戦争では歩兵第一旅団長として蓋平の戦いで清国軍を撃破。第三代台湾総督、初代第十一師団長を経た後、日露戦争に第三軍司令官として出征、旅順を苦戦のすえに攻略、奉天会戦ではロシア軍の退路に迫り、日本の戦勝に寄与。明治40年(1907)には学習院長を兼任、伯爵に陞爵。大正元年(1912)9月13日、明治天皇の大喪儀当日、妻静子と自刃した。