戊辰戦争後、仙台藩は62万石から28万石へと大幅に減封され、家臣団は深刻な困窮に直面した。なかでも、1万8000石を領していた一家家格の白石片倉家は、わずか蔵米55俵を支給されるだけとなり、さらに知行地没収という厳しい処遇を受ける。武家としての矜持を保ちながらも、旧来の生活基盤は完全に崩壊した。
この危機に際し、片倉家主従はただ嘆き沈むのではなく、「新たな生存の道を切り拓く」という決断をし、当時まだ未開の地であった北海道開拓に活路を見出そうとした。しかし、開拓は想像を絶する過酷さを伴い、わずか1か月で撤退した藩も少なくなかった。
それにもかかわらず、片倉家主従は最後まで開拓に携わり続けることができたのか。その理由を丹念に追いながら、片倉家主従の挑戦を描き出す。