なぜ日本は開戦前に敗北を予測し得るだけの情報と分析力を持ちながら、それでもなお戦争へと進んだのか。本書が明らかにしようとするのは、この一点に尽きる。そしてその鍵は、単なる「誤った判断」や「楽観的錯誤」に求められるべきものではない。むしろ、分析と政策決定が分離し、前提条件そのものが固定化されていくなかで、「開戦を前提とした思考」が自らを正当化していった構造にこそ求められるべきものであろう。本書では、「総力戦研究所」と海軍「第一委員会」という二つの対照的な存在を手がかりにして、この問題の核心に迫っていきたいと考えている。
本書の契機となったのは、2025年8月16・17日に放映されたNHKスペシャル終戦80年ドラマ『シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~』(前・後編)であった。
同ドラマは、「総力戦研究所」の机上演習を題材に、開戦前に敗北を予測していた事実を描き出した点で大きな反響を呼んだ。しかしながらその後、同研究所初代所長であった飯村穣陸軍中将の遺族によって、番組における人物描写が事実と著しく異なるとして提訴がなされるに至った。報道によれば、劇中において所長が開戦を肯定し、反対意見を抑圧する人物として描かれていたことが、故人の名誉を毀損するものであると主張されたのである。
同番組は、追加シーンを加えた劇場版として2026年8月に映画化されることが報じられ、製作側は「歴史的事実を基にしたフィクション」であるとの立場を示した。しかしながら、現代史、とりわけ当事者の記憶や評価がなお生々しく残る領域を扱う場合においては、たとえフィクションの形式をとるとしても、歴史的事実との乖離については最大限の慎重さが求められるべきであろう。
戦後80年を経て、当時を直接知る証言者が少なくなり、映像作品においてドラマ的再現の比重が高まっていることは理解できる。しかしそれゆえにこそ、歴史を扱う側には、事実の検証に耐えうる客観性と節度が不可欠である。歴史は単なる素材ではなく、未来の判断に資する公共的な知であるからである。
本書が試みたのは、こうした問題意識のもとに、「総力戦研究所」の実像を検証するとともに、それとは異なる次元で進行していた海軍「第一委員会」の議論に光を当てることであった。すなわち、日本が敗北の可能性を認識しながらも、なぜ開戦へと踏み切ったのかという問いに対し、「分析」と「意思決定」の分離という構造から接近することである。
「総力戦研究所」の若き研究者たちは、戦後、それぞれの分野において日本の復興と発展に寄与した。その意味において、同研究所の精神は戦後日本の基盤の一部をなしているといえる。本書を通じて、その実像がより正確に理解されるとともに、太平洋戦争の原因について改めて考える契機となれば幸いである。